2011-01-01から1年間の記事一覧

横浜市教委、育鵬社の教科書採択

やったね、横浜。 横浜市教委も育鵬社の教科書採択、県内3例目 愛国心主眼/神奈川 2011年8月4日 カナコロ 横浜市教育委員会の定例会が4日開かれ、愛国心の育成を主眼に置く育鵬社の歴史と公民の教科書を採択した。2012年度以降順次、市立中学校と中等…

原爆投下の序曲

迫り来る8月6日。 昭和20年(1945年)、5月28日、アメリカ大統領トルーマンのもとにモスクワに派遣していた腹心ホプキンスより報告が入ります。「8月8日にはソ連軍は満州の防衛線にたいして間違いなく攻撃を開始します」 トルーマンとマンハッ…

闘将・角田覚冶、テニアンに死す

一機の飛行機もなく、角田覚冶テニアンで戦死。 昭和19年(1944年)2月。角田覚治中将はテニアン島へ着任。第一航空艦隊司令長官に就任し、マリアナ沖海戦(あ号作戦)を支援することになります。 テニアンに着任した角田覚治中将は島の防御施設の貧…

闘将・角田覚冶、テニアンで戦う

第一航空艦隊は壊滅、そして絶望的な地上戦。 昭和19年(1944年)6月15日、アメリカ軍はサイパン島に上陸。テニアン島はサイパン島からわずか5キロのところにあります。海岸には水面が見えないほどのアメリカ艦隊で埋まり、全島に砲撃の黒鉛が立ち…

通州事件

人間の仕業とは思えない大虐殺。 昭和12年7月30日東京日日新聞(現在の毎日新聞)号外 「通州で邦人避難民三百名殆ど虐殺さる」 「半島同胞二百名も気遣はる」 当時の人は号外を見て驚いたでしょう。通州事件は昭和12年(1937年)7月29日冀東…

今年もやっていた広島の言論弾圧

今年も言論弾圧がありました。広島の恥です。 昨年、8月6日、広島で元航空自衛隊の田母神 俊雄(たもがみ としお)氏が「ヒロシマの平和を疑う」という講演を行いましたが、「(財)広島市ひと・まちネットワーク」が講演会チラシ広報協力拒否したという事件…

牛肉にセシウム報道でおかしな方向へいってない?

がんばれ福島。 どうもこのところ、牛肉からセシウムが検出された!牛がセシウムに汚染されたワラを食べたからだ!出荷停止!既に出荷されたものがある!という報道が目立ちますが、3200ベクレル/Kgのセシウムがどれだけ健康に害があるか?というのは、…

敵兵を救助せよ

有名な「敵兵を救助せよ」。 昭和17年(1942年)2月27日から3月1日の間、日本軍はジャワ上陸作戦を展開し、インドネシアのスラバヤ沖、バタビア沖でイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリアのABDA艦隊と海戦が勃発しました。海戦は日本…

スラバヤ沖海戦で見られた不思議な光景

戦争しているのに不思議な光景。 昭和17年(1942年)2月27日から3月1日の間、インドネシアのスラバヤ沖、バタビア沖で海戦が勃発しました。日本海軍とABDA艦隊との間の戦闘です。ABDAはアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連…

なんで日本の歴史教科書が韓流になるの?

「歴史教科書がおかしい」の続々編です。 7月3日に教科書展示会に行ってきました。時間があまり取れなかったので、ポイントを絞って比較し、独断で採点した結果は以下の通りです。 比較ポイント育鵬社帝国書院教育出版 満州事変○×× 支那事変△△× 通州事件××…

教科書に大東亜戦争はどう書かれているか

「歴史教科書がおかしい」の続編。悪いことばかり摘むのはマスコミと同じ手法。 平成24年度に使用する教科書見本を展示しているというのをネット情報で入手し、7月3日に行ってまいりました。教科書は「育鵬社」「帝国書院」「教育出版」を見ました。「東…

歴史教科書がおかしい

まったくむちゃくちゃな歴史教科書。 平成24年度に使用する教科書見本を展示しているというのをネット情報で入手し、7月3日に行ってまいりました。時間が2時間しかとれなかったので、購入して帰るつもりでしたが、24年度版はまだ販売していないという…

嗚呼、サイパン玉砕

われわれの同胞はどうなったのでしょうか。英霊に合掌。 昭和19年(1944年)6月15日から始まった大東亜戦争サイパン地上戦は圧倒的な火力を誇る米軍に対して、日本軍は大奮戦し、苦戦する米軍は第27師団長ラルフ・スミス少将が更迭されたほどでし…

死闘!サイパン砲兵隊

サイパンの死闘。 昭和19年(1944年)6月15日、米軍がサイパンに上陸。これに先立ち、米軍は4日にわたり、猛烈な艦砲射撃と空爆を繰り返していました。独立山砲兵第三連隊(満州にいた部隊。昭和19年3月19日サイパン上陸)黒木大隊は十五榴1…

沈黙の角田覚冶

日本海軍は絶好のチャンスを逃した。 昭和19年(1944年)2月17日、千葉県の海軍香取基地では近く基地から戦地へつぎつぎと向かう予定であったので壮行会を行う予定でした。横森予備少尉らは銚子の「大進」の店へ先発で行き、準備を進めていました。…

「加藤中尉は飛んでいるか?」 〜 南太平洋海戦の角田覚冶

名将の条件。 昭和17年(1942年)10月。大東亜戦争日米戦はガダルカナルの戦闘が激化し、見敵必戦の闘将・角田覚治中将はトラック島進出の命令が下りました。角田少将率いる第二航空隊の「隼鷹(じゅんよう)」「飛鷹」「瑞鳳」は10月4日、日本内…

「各艦、探照灯つけ」闘将・角田覚治、ダッチハーバーへ

角田覚治の生き方。 昭和17年(1942年)6月。ミッドウエー作戦の陽動として角田覚治少将率いる第二機動部隊はダッチハーバーを攻撃します。5月3日に竣工したばかり商船の改造空母「隼鷹」を使っての攻撃です。商船のエンジンは速度変換する空母には…

見敵必戦の闘将・角田覚治

もっと評価されるべき。角田覚治。 「見敵必戦」・・・敵を発見すれば徹底して戦う。これを貫いたのが角田覚治中将です。 大東亜戦争当時の海軍は慎重派が主流でしたが、山口多聞少将と角田覚治中将は闘将派でした。このほかスリガオ海峡を突進した西村中将…

激闘!サイパン戦車隊

あの年のサイパンの夏は熱かった。 昭和19年(1944年)6月15日、米軍がサイパンに上陸。大東亜戦争サイパン地上戦の火蓋が切って落とされました。 戦車第九連隊に出撃命令が発令され、第四中隊がいち早くオレアイ付近に進出し、歩兵部隊と共同して…

勇敢に戦った沖縄県民を称える

沖縄県民斯く戦へり 大東亜戦争沖縄戦で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。 戦後の昭和45年(1970年)、12月20日、米兵が連続して起こした2件の交通事故と、MP(米軍憲兵隊)の威嚇発砲をきっかけに、5,000人を超える暴動が発生し…

韓国が親日に転換!?

アニメが両国を近づけた? 北京で久々に炸裂した麻生太郎「文化担当特使」に民主党外交は学べ 「ポケモンはキュッキュとしか言わないが世界で通用するじゃないか」2011年06月13日(月) 近藤 大介 久々に、'麻生節'が、北京で炸裂した。 先週、麻生太郎元首…

郷土防衛軍斯く戦へり

我が命より尊い郷土、祖国。沖縄県民は勇敢に戦った。 昭和20年(1945年)3月26日から始まった大東亜戦争沖縄地上戦での日本軍はこれまでの様相を異にしていました。昭和17年9月に制定された「陸軍防衛召集規則」に基づいて昭和19年より在郷軍…

国旗掲揚、国歌斉唱時の起立は当たり前

当たり前のことをこうしてやらなければならないのですから、日本の病巣の深さがうかがえます。 インドネシアで府職員らと君が代歌う 橋下知事 2011年6月17日 インドネシアを訪問中の橋下徹・大阪府知事は16日、視察先のジャカルタ市内の中高一貫校でスピー…

米軍は親切だったのか 〜 沖縄戦

米軍はやはり鬼畜だった。 大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の子供…

アメリカは侵略者以外の何者でもなかった 〜 沖縄の戦後

アメリカ軍は善玉で日本軍が悪玉?なんじゃそりゃ。 昭和20年(1945年)3月26日から始まった大東亜戦争沖縄戦の座間味島は集団自決があった悲劇の場所で知られています。生き残った住民は米軍に捕まりますが、負傷者は手当てをするなどしてくれまし…

先人を卑しめる「集団自決」軍命令説

沖縄メディアやプロ市民は先人を卑しめているだけ。 大東亜戦争沖縄戦で座間味島と渡嘉敷島で軍命令による「集団自決」があったというのは何も証拠がないことなのですが、こういう話を創り上げることは先人を卑しめていることに気づかないというところが、戦…

母の遺したものへの裏切り 〜 座間味島

母を裏切らなければ生きていけなかった。 昭和55年(1980年)、大東亜戦争沖縄戦のときの座間味島守備隊長、梅澤祐氏は宮城初枝さんと面会しました。宮城初枝さんは自身の体験談を「家の光」雑誌に寄稿し、その中で「梅澤部隊長(少佐)から、住民は男…

もしかして今年はちょっと大人しい?沖縄メディアの「日本軍悪玉祭り」

今年の「日本軍悪玉祭り」はちょっと大人しいかも?東日本大震災での自衛隊の活躍が広く知られているからか。「日本軍悪玉祭り」をやると、国民の支持95%の自衛隊の先輩たちを卑しめることになるからか?「軍は住民を守らない」なんていっちゃうとえらい…

やはり始まった、沖縄メディアの「日本軍悪玉祭り」

6月23日(沖縄慰霊の日)が近づきますと、沖縄メディアの「日本軍悪玉祭り」が始まります。立派なメシの種になったものです。 「集団自決」軍命を記録 座間味村の戦争体験記第23号発行 2011年5月24日琉球新報 【豊見城】沖縄戦中の1945年3月26日…

あの日、あのとき、あの場所で 〜 渡嘉敷島

あの日、あのとき、あの場所にいた人にしか許されないことがある。 昭和20年(1945年)、3月27日、米軍が渡嘉敷島へ上陸。住民はパニックになりました。 安里喜順巡査 「皆、艦砲や飛行機からうちまくる弾の下で、群集心理で半狂乱になっていますか…