勇敢に戦った沖縄県民を称える

沖縄県民斯く戦へり


 大東亜戦争沖縄戦で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 戦後の昭和45年(1970年)、12月20日、米兵が連続して起こした2件の交通事故と、MP(米軍憲兵隊)の威嚇発砲をきっかけに、5,000人を超える暴動が発生しました。いわゆる「コザ騒動」です。
 それまでコザでは年間1,000件の外国人犯罪があり、アメリカ人による殺人、強盗、強姦など凶悪犯罪が多数であり、年間3,000件の交通事故がありました。驚くべきことにそのすべてが無罪、もしくは微罪として処理されていたのです。

 コザ騒動で、沖縄県民はMPカーや外車など73台に次々放火。民衆は嘉手納基地のゲートの中までなだれ込み、アメリカ人学校なども焼かれました。米軍は武装した300人の憲兵隊と400人の完全武装兵を出動させ、琉球警察も出動。5,000人の民衆と米兵たちが、6時間に及ぶにらみ合いを続け、ようやく鎮まりました。

 沖縄には「命どぅ宝」という言葉があり、これがほぼ沖縄の価値観になっていると思われます。直接的には「命が一番大切」ということを言っていますが、これには「命を賭けるほどのものはない」という意味があります。この価値観ではコザ騒動は説明がつきません。幸い死者が出ませんでしたが、一歩間違えれば大量の死体がころがるところでした。この沖縄県民のコザ騒動の行動は郷土愛であり、命よりも大切な我が郷里という精神(本能)の現れでありましょう。

 大東亜戦争沖縄戦もしかり。侵略者であるアメリカ軍が迫ったとき、我が命を賭けてでも故郷沖縄を守る、祖国日本を守るため、沖縄県民は立ち上がりました。


沖縄のマスコミ
「敵米獣にたいする憎しみ、憤りは日本一であるはずだ」
「県民の戦闘はナタで鍬でも竹槍でも・・・」
「鉄砲が無ければ竹槍でいこう、竹槍が折れたら唐手(空手)でいこう」


昭和19年(1944年)末の県議会宣誓
「われら一同協心、特攻精神を以って敵米英を撃滅」


 そして昭和20年3月26日、アメリカ軍は慶良間諸島に上陸し、地上戦が開始されました。

 沖縄学の父といわれる伊波普猷(いは ふゆう)氏の東京新聞への寄稿。
「勇猛の気性を持った琉球人が今こそ、その愛する郷土を戦場として奮戦していることを想うと私も感慨切なるものがある」
「今や皇国民としての自覚に立ち、全琉球を挙げて結束、敵を迎撃しているであろう。勇戦する琉球人に対し、私は大きな期待を抱く」

 伊波普猷氏の思いは当時の沖縄県民のほとんどが共有していたはずです。人間には「自己防衛本能」と「種族防衛本能」があります。「命どぅ宝」は「自己防衛本能」のみから生まれた考え方であり、「種族防衛本能」を否定しています。しかし、大東亜戦争時、沖縄県民は強烈に郷土を愛し、祖国愛していました。そして侵略者アメリカに対して郷土、祖国を守るために戦いました。これは「自己防衛本能」を「種族防衛本能」が凌駕した姿であり、全く自然なことです。

 大東亜戦争沖縄戦沖縄県民は勇敢に戦いました。決して彼らは国や軍に騙されたかわいそうな被害者ではありません。誇りある沖縄県民でした。



参考文献
 小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
 PHP「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」秦郁彦(編)
 オークラ出版「沖縄とアイヌの真実」『沖縄とアイヌ”同化”をどう考えるか?』小林よしのり
添付画像
 首里城(PD)

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発 沖縄根拠地隊司令

海軍次官

左ノ電xx次官に御通報方取計を得度

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも県には既に通信が無く三二軍司令部又通信の余力無しと認めらるるに付、本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども現状を看過するに忍びず之に代して緊急御通知申上ぐ

沖縄島に敵攻略を開始以来陸海軍方面防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど(ほとんど)顧みるに暇なかりき

然れ(され)ども本職の知れる範囲に於ては県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と家財の全部を焼却せられ僅に(わずかに)身を以て軍の作戦に差支なき場所の小防空壕に避難、尚砲爆撃のがれx中風雨に曝されつつ乏しき生活に甘んじありたり

而も(しかも)若き婦人は卒先軍に身を捧げ看護婦烹炊婦(ほうすいふ)は元より砲弾運び挺身切込隊すら申出るものあり

所詮敵来りなば老人子供は殺さるべく婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて親子生別れ娘を軍衛門に捨つる親あり

看護婦に至りては軍移動に際し衛生兵既に出発し身寄無き重傷者を助けて敢て真面目にして一時の感情に馳せられたるものとは思はれず

更に軍に於て作戦の大転換あるや夜の中に遥に遠隔地方の住居地区を指定せられ輸送力皆無の者黙々として雨中を移動するあり

是を要するに陸海軍部隊沖縄に進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約を強要せられつつ(一部は兎角の悪評なきにしもあらざるも)只々日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ遂にxxxx与へ、xことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形x一木一草焦土と化せん

糧食六月一杯を支ふるのみなりと謂ふ

沖縄県民斯く戦へり(おきなわけんみんかくたたかえり)

県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを