スラバヤ沖海戦で見られた不思議な光景

戦争しているのに不思議な光景。


 昭和17年(1942年)2月27日から3月1日の間、インドネシアのスラバヤ沖、バタビア沖で海戦が勃発しました。日本海軍とABDA艦隊との間の戦闘です。ABDAはアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連合軍です。日本軍はジャワ上陸作戦を展開中で、これを察知したABDA艦隊は阻止しようとし、日本海軍第五戦隊、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊が迎え撃ちました。
 日本海軍は輸送船団の護衛が主任務だったせいか消極的な動きでしたが、秘密兵器である酸素魚雷(雷跡がつきにくいので発見しにくい)が決め手となり圧勝。ABDA艦隊の残存艦はジャワ島南部、あるいはセイロン島へ逃れようとしました。

 3月1日、アメリカの巡洋艦「ヒューストン」とオーストラリアの巡洋艦「パース」はバタビア沖で日本の輸送船団に遭遇し、攻撃しますが、日本の第五水雷戦隊、第七戦隊と交戦となり、二隻とも沈没しました。

 イギリスの巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」、アメリカの「ポープ」はセイロン島へ向かいますが、日本の巡洋艦に挟撃をうけ、戦闘不能となります。「エクゼター」の艦長は「わが艦を放棄す、各艦適宜行動せよ」の旗流信号を掲げ、僚艦に自艦を見捨てるように指令しました。ここで不思議なことが起こります。「エクゼター」の乗組員は次々海中に飛び込み、日本艦隊に向かって泳ぎ始めたのです。「エクゼター」では士官が兵に対し、「万一の時は、日本艦の近くに泳いでいけ、必ず救助してくれる」といつも話していたといいます。
 「エクゼター」が沈み行くとき、日本の駆逐艦「電(いなづま)」では「沈み行く敵艦に対し敬礼」の号令が下されました。そして、残りの敵艦の攻撃に向かわず、海上に浮遊する敵兵を救助すべし」との命令が下ります。そして「エクゼター」376名が救助されました。

 一番砲砲手で「電」に乗艦していた岡田正明氏
「立派な浮き舟に乗っているもの、救命用具をみにつけている者等、多くの敵兵が近くの海面で助けを求めている。直ちに縄梯子、ロープ、救命浮標等で救助にあたった」

「『サンキュウ』と、蒼白な顔の中にも救助された喜びの笑みをたたえ、敬礼して甲板にあがってくる敵兵、激しい戦闘によって大怪我をしている者、シャツは着ていてもパンツのない者等服装もまちまちだ。ズボン、靴下等彼らが身に着けているのは純毛だった。『持てる国イギリス』の感を強くした」

 この後、駆逐艦「エンカウンター」も撃沈します。この乗組員の救助が「敵兵を救助せよ」のタイトルで有名な話となります。「ポープ」も撃沈され、救助されていますが、「ポープ」の場合はアメリカ兵が傲慢で戦後「長時間艦上に放置された」などと日本海軍を悪く証言するものもいます。いずれも戦争をしているのに不思議な光景ですが、日本には武士道精神があるのと、日本海軍はイギリス海軍を範としてきており、親近感があったことが理由としてあげられるでしょう。イギリス側もマレー沖で戦艦プリンス・オブ・ウェールズ日本海軍航空隊によって撃沈されたとき、乗員の救助を妨げなかったし、生存者のシンガポールまでの寄港を許したことが頭にあり、救助される抵抗は少なかったものと思われます。



参考文献
 Gakken歴史群像アーカイブ「帝国海軍 太平洋作戦史Ⅰ」
 草紙社「敵兵を救助せよ」恵隆之介(著)

添付画像
 攻撃を受ける英重巡洋艦エクセター(PD)

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