先人を卑しめる「集団自決」軍命令説

沖縄メディアやプロ市民は先人を卑しめているだけ。


 大東亜戦争沖縄戦座間味島渡嘉敷島で軍命令による「集団自決」があったというのは何も証拠がないことなのですが、こういう話を創り上げることは先人を卑しめていることに気づかないというところが、戦後イデオロギーによる洗脳の恐ろしさを物語っています。

 大東亜戦争当時の価値観は「マサダの丘」価値観でした。マサダの丘はイスラエルにあります。紀元前66年に、最後のユダヤ王国が滅ぼされたユダヤ・ローマ戦争が始まりました。圧倒的な力を持ったローマ軍に対して、戦況が不利になると多くのユダヤ人が家族を連れて、このマサダの要塞に立て篭もりました。ユダヤ人は長期にわたり抵抗しました。
 ローマ軍が遂に城壁を破って砦の中に入ってきたとき、籠城していた960人のユダヤ人たちは、建物に火を放ち、老人、女、子供含めて自決しました。
 このマサダのお話はユダヤ民族抵抗の証と語り継がれています。マサダの自決は尊厳死です。強制された死に仕立てたのでは侮辱に相当するという感覚です。

 沖縄の集団自決については大江健三郎氏の「沖縄ノート」の出版差止め訴訟があり、上告が棄却されたので判決が確定しました。この裁判の判決、判断の大要では「控訴人梅澤及び赤松大尉自身が直接住民に対してこれを命令したという事実に限れば、その有無を本件証拠上断定できず、本件各記述に真実性の証明があるとはいえない」としており、「軍命令」という強制された死があったともいえないし、なかったともいえない。実際、裁判に至るまでも命令があった証拠は何一つありません。※1 それなのに自決した先人を卑しめる「強制された死」論調に倒すということを延々とやってきているのです。そもそも「自決」というのは自らの意思で命を絶つことを言うので「自決命令」なんて言葉を使っている時点で下手な作家の創作だったと笑い飛ばすような話です。

 渡嘉敷島にいた富野稔少尉
「私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、死の清らかさを自らおとしめてしまうのか。私にはそのことが理解できません」

 沖縄の信仰には「琉球神道」と呼ばれるものがあり、ニライカナイ信仰とも呼ばれています。琉球王国では政祭一致として編入されました。現在も民間信仰として定着しています。これは「先祖崇拝」が核であり、神道と同じです。ならば現代を生きるものは死者の目線で見るのが普通でしょう。死者に「あなた方は騙され、強制された死だったんですよ」という侮辱の言葉を語ることができようか。沖縄人は信仰さえ捨ててしまったのでしょうか。

 いや、こうした先人を卑しめる行為は沖縄人の本心ではなく、沖縄メディアやプロ市民の活動によるもので、大衆のいくらかがマインドコントロールにかけられているだけだと信じたいです。座間味や渡嘉敷で梅澤隊長、赤松隊長を悪く言う人はいません。多くは本島の関係ない人が騒いでいるだけです。いつしか沖縄県民がマインドコントロールから逃れる日が来ることを願っています。



※1 判決では「軍官民共生共死の一体化の大方針の下で日本軍がこれに深く関わっていたことは否定できず・・・」ともあり、「関与」という極めて曖昧で何とでもとれる言葉で逃げている。例えば軍人が民間人に「死ぬな」と言ったのも「関与」になるはずで、「軍官民共生共死の一体化」というなら官も民も「関与」といって差し支えないことになる。軍命令の証拠がないので大江側に配慮した異例の判決と言える。



参考文献
 徳間書店ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
 PHP「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」秦郁彦(編)
 小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
 WAC「沖縄戦渡嘉敷島 集団自決の真実」曽野綾子(著)
参考サイト
 WikiPedia琉球神道
 オキナワ あ・ら・か・る・と http://www.asahi-net.or.jp/~qk3m-knk/oki-zatu1.htm 
添付画像
 渡嘉敷島の海 AUTH:TomazVajngerl

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