日本を締め上げ挑発せよ

 米国が日本が開戦に踏み切るよう先に手を出させるように挑発した行為にハルノートや禁輸措置があげられます。1940年10月作成のマッカラムメモランダムにはオランダが日本資源を提供しないよう働きかけるというのがあります。1940年秋から1941年はじめにかけてこれが実行されます。(マッカラムメモランダム以前からこの動きはある)
 
 1940年7月から米国の対日貿易に制限がはいり、日本は資源確保のため商工大臣小林一三がオランダと交渉しますが、既に裏で米と蘭はつながっており、日本代表団はオランダ代表はワシントンの傀儡かといって攻めます。そして1941年6月交渉は遂に打ち切りになります。

 マッカラムメモランダムの実にえげつない挑発行為にポップアップ巡洋艦があります。1941年7月に豊後水道に米巡洋艦三隻を出撃させました。わかるでしょうか、今で言えば中共の軍艦が瀬戸内海入り口に入り込んで来たのと同じですよ。

米グルー大使宛の抗議
「7月31日の夜、宿毛湾に錨泊中の日本艦艇は、東方から豊後水道に接近するプロペラ音を捕らえた。日本海軍の当直駆逐艦が探索して、船体を黒くとそうした二隻の巡洋艦を発見した。二隻の巡洋艦日本海軍の当直駆逐艦が向かっていくと、煙幕に隠れて南方よりの方向に見えなくなった」「日本海軍将校は、それらの船がアメリカ合衆国巡洋艦であったと信じている」

 ルーズベルト大統領はこのポップアップ巡洋艦について以下のように語ったといわれています。
「自分はそれらの巡洋艦があそこやここで飛び出し行動を続けて、ジャップに疑念を与えるようにしたい。そのため巡洋艦を一隻か二隻失っても気にしないが、五隻か六隻も失う羽目には陥りたくない」

 1941年7月と言えば米国はパナマ運河を封鎖し、対日全面禁輸、日本の資産凍結を行っていますから、この軍事的挑発は「さあ、もう日本は戦争するしかないよ、受けて立つよ。どうする?」と言っているようなものでしょう。日米関係は絶望的状況ですでにこの時点で開戦か、隷属かの二択しかなくなり、最後の切り札として日米首脳会談が計画されたのですが、それは実らず、日本は民族の誇りをかけて開戦の道を選ぶことになります。


参考文献
 「真珠湾の真実」ロバート・B・スティネット著
 「騙しの交渉術」杉山徹宗著


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