チベット大虐殺に加担したマスコミ

 諸君2000年6月『チベット侵略を礼賛した岩波新書の”迷書”』潮匡人と岩田温氏の記事より新聞報道部分など抜粋してみます。


朝日新聞(昭和26年6月3日)17条協定


チベット軍も人民解放軍編入され、またチベットには軍政委員会と軍区司令部が置かれることになっている。内政自治権は認められたとはいえ軍事的にガッチリ押さえられ、さらに外交権まで失った。
・・・
とまれ中共チベット解放は終わり、残るは台湾だけとなった

 侵略、占領ではなく「解放」と呼んでいます。



朝日新聞(昭和31年7月23日)


チベット暴動説は疑問 亡命者の政治的宣伝か

 このところネパールのカトマンズ、カリンポンなどから盛んにチベット反共暴動が起こっているとの報道が行われ、当地国府系紙は連日大々的に報じているが、当地観測筋では「針小棒大なもの」として批判的に見ている。
 当地の一般観測筋ではチベット問題の報道はカトマンズ、デリー、カリンボンに亡命しているチベットラマ教徒の話しに基づいたもので、これをそのまま受け取ることは危険であるとしている。

 一般観測筋とはどんな筋でしょうか。



 読売新聞は昭和35年(1960年)にラサ決起1年後に以下のような見出しの記事を掲載しています。
反乱1年後のチベット」「『消えた残酷物語』近代化へたくましい歩み」
本文書き出し
「一年の経過を見るとあの反乱で最もバカをみたのは反乱をおこした者・・・」「反乱のおこる前には、北京政府もチベットに忍耐強い態度をとり・・・」

 ラサ決起を「反乱」と言っています。


 反乱によって、こうした社会制度の改革を頑強に拒んでいた反動的農奴王、支配者たちが、亡命したり投降してしまったので改革派はかえってはやめられることになった。この改革は'''民主革命'''の段階と社会主義改造の二段階にわけてすすめられることになっており、目下すすめられているのは第一段階の民主革命である。

 侵略と大虐殺、拷問、強姦、暴行などなどを「民主革命」と報じています。



岩波新書 A・L・ストロング著「チベット日記」 1960年安保当時の著


 わしらの太陽

 ダライ・ラマの太陽は
 領主達を照らした。

 毛沢東の太陽は
 わしら人民を照らしてる。
 
 いま、領主の太陽は沈み、
 わしらの太陽がある。

 気が狂います。



岩波新書 アラン・ウィニントン著「チベット


 ひとたびチベット全人民の、政治的にめざめた各階層を代表する自治政府が出来れば、−−−そしてこれは極めて間近いであろうが−−−その政府は、中国の全国的計画および社会主義の目標に歩調を合わせて、チベット開発計画を立てることができる。


 これらのマスコミ報道はチベット侵略、大虐殺を隠蔽したのです。日本国民はチベットで何が起きているかほとんどの人が知らされていませんでした。これはマスコミがチベット大虐殺に加担したといっても過言ではありません。反省がないことから確信犯です。我々はこれらマスコミの正体を知っておくべきでしょう。



参考文献
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『チベット侵略を礼賛した岩波新書の”迷書”』潮匡人 
 オークラ出版反日マスコミの真実2009」『チベットを貶め続けた朝日新聞』岩田温


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