日本敗戦後の台湾の支那兵

 昭和20年8月の日本敗戦後の在日の台湾人は朝鮮人とともにGHQより「三国人」(the third nation)と言われていました。台湾人の場合は台湾は中華民国になるので「戦勝国民」とされ、在日台湾人は台湾へ帰ることになります。ところが台湾に帰った台湾人は恐ろしい光景を目にすることになります。
  蔡 焜燦(さい こんさん)著「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)」で蔡さんは日本軍人として内地におり、台湾へ帰ってきましたが、出迎えた音楽隊の後ろにいた敗残兵のような支那兵に驚きます。


 ある者はぼろぼろの綿入り服に唐傘を背負ってわらじを履き、またある者は、天秤棒に竹かごを下げ、その籠の中には鍋釜をのぞかせている。そして全員が胸ポケットに歯ブラシをさして、水筒の紐にもホーロー・カップを引っ掛け、醤油で煮詰めたような汚いタオルを腰にぶら下げていた。彼らは軍隊行進にあるまじき乱れた歩調で、ミシッミシッと軍楽隊に後続してきたのである。その光景は異様としかいいようがなかった。

 蔡さんは頭の中が真っ白になったと述べています。そして一緒に帰還した戦友のうち二人が「俺はこんな連中と一緒になるのはいやだ」と言って、引き揚げる日本兵に紛れて台湾を去ったそうです。
 台湾でも支那兵のイメージを「キング」「少年クラブ」「幼年クラブ」などの雑誌で知っていたようですが、さすがに目の当たりにすると驚いたようです。台湾で支那から国軍を出迎えに行った人たちは、支那兵を見た途端「うわー」と言ったり、口をあんぐり開けて見ていたそうです。沿道では青天白日旗を振る波は止まり、歓声は静寂に変わりました。

 支那人は水道や電気がある文化的生活をしたことがない者がほとんどで、荒物屋で蛇口を買っていき、家の壁に穴をあけて水がでないとか、電球を買って同じように壁に穴を開けて電気がつかないなど文句を言ったそうです。
 そして治安がどんどん悪くなり、支那人が威張りだし、警察や役人の地位を占めて不正や賄賂が横行していく世の中に変貌していきました。

 支那兵の話は歴史を見る上で重要なことだと思います。支那兵は半ば拉致され召集されています。そして戦場では督戦隊に監視され、退却されると撃たれます。支那兵はいつも脱走のことを考え普段着を隠し持っています。(便衣)脱走すると匪賊になり民間を襲い強姦、略奪、虐殺します。時には自国の軍営を襲い、食料を奪い、兵士を殺害します。そんな軍隊と日本軍は戦っていたのです。これは当時の日本人はよく知っていたことだと思います。しかし、この事実は戦後の焚書と検閲によって封印され、日本人の記憶から抹消されたのです。日清戦争支那事変、南京事変を語る上で支那軍とはどういうものか、支那軍に捕らえられた日本兵捕虜はどうなったかは全く語られないでしょう。



参考文献
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『朝鮮進駐軍三国人』詠清作
 「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)」―日本人よ胸を張りなさい 蔡 焜燦著
 「日本人はとても素敵だった」楊 素秋著
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二

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