2009-01-01から1年間の記事一覧

チベット大虐殺に加担したマスコミ

諸君2000年6月『チベット侵略を礼賛した岩波新書の”迷書”』潮匡人と岩田温氏の記事より新聞報道部分など抜粋してみます。 朝日新聞(昭和26年6月3日)17条協定 チベット軍も人民解放軍に編入され、またチベットには軍政委員会と軍区司令部が置か…

チベット人への洗脳教育

中共ではチベット人にチベットの伝統や文化はほとんど教えず、ダライ・ラマ法王を「国家分裂主義者」と批判しています。西蔵ツワンさんは日本でお医者さんになっていますが、子供の頃、洗脳教育を受け、その後父親に連れられて命がけでヒマラヤを越えて亡命…

チベットと同様に日本を侵略せよ!大中華侵略思想

1995年、中共の李鵬首相はAPECでオーストラリアのキーティング首相(当時)に「日本などという国は40年後には消えてなくなる」と発言しました。 北京週報(1989年2月21日)チベット独立論に反論する 周知のように中国は昔から一つの多民族国家である。…

悪魔の民族浄化政策 − チベット大虐殺

「卵管を根元から引き出したときの苦しみといったら・・・耐え難いものでした。」 チベット人女性が無理やり不妊手術を受けさせられた話です。麻酔などつかわず、卵管を引っ張り出し、切除して縫い合わせる手術をされたのです。手術後は痛み止めのアスピリン…

チベット問題に沈黙する平和・人権団体

外出しても、何を叫んでも、殺されないことこれがチベット人が望んでいる「自由」であり、この声を日本の平和団体、人権団体はどう捉えているのでしょうか。 2008年3月10日のチベット僧侶による400人規模のデモに端を発した中共当局のチベット人弾…

チベットに何があるのか

1941年9月に英領インドの解放のために日本陸軍藤原岩市少佐以下10名程から構成された特務機関であるF機関というものがあります。桐蔭横浜大学のペマ・ギャルポ教授はこの藤原岩市少佐に戦後の1970年に会ったことがあり、藤原氏の自宅にいくと大き…

パンチェン・ラマ

ダライ・ラマがチベット人にとって「太陽」であるのに対してパンチェン・ラマは「月」であり、阿弥陀仏の化身と言われる高僧です。 1959年、ダライ・ラマがインドへ亡命した後、1962年、パンチェン・ラマ10世は毛沢東に7万言の意見書を提出し、中…

チベットと日本人

初めてチベットに日本人が訪れたのは1891年のことで河口彗海というお坊さんで、原初的な仏典を求めてチベットに入国し、ダライ・ラマ13世に謁見しています。河口彗海は1903年に帰国し、「西蔵旅行記」を刊行します。この書は一躍人気となり、本当…

ダライ・ラマの亡命とチベット亡命政府

1959年3月、中共はダライ・ラマ14世に「人民解放軍司令部での観劇」に招待します。ラサの中共軍の駐屯地です。しかも「警護をつけない」「出発の際、儀式をしない」ことを条件とする異様な”招待”でした。法王側が断っても中共軍は執拗に要請し、徐々…

チベット大虐殺の残酷さ

支那人の非道、残酷さは日本の歴史でも通州事件に刻まれている通りです。 チベットでは女性は尼僧であっても繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ちにされます。尼僧との性交を強いられたりします。売春婦をつれてきて僧に性交を強要し、僧が拒否…

チベット大虐殺のはじまり

チベットを侵略した中共軍は当初はチベット人民に対して親切で礼儀正しかったといいます。農業を手伝ったり、仏像に敬意を表していました。人を傷つけるようなことはせず、女性に触れたり、物を破壊することは一切なかったそうです。そして病院を建て、学校…

チベット!チベット!

外出しても、何を叫んでも、殺されないこと これがチベット人が望んでいる「自由」です 1949年9月1日、中華人民共和国成立の1ヶ月前、新華社通信は「チベットは中国の領土であり、いかなる外国の侵略も許さない」「人民解放軍は必ずチベット、新疆、…

OSSが仕掛けた日本共産化計画「GHQ憲法」

1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。まだ全部は公開されていないようです。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人…

GHQ憲法作成のために葬られた近衛公

1945年(昭和20年)9月13日、終戦直後、東條内閣の前の内閣総理大臣、近衛文麿はマッカーサーと会談します。このときは米軍の通訳の水準が低すぎ、実りのない内容でしたが、10月4日の会談で近衛公は日本の赤化懸念を強調します。そしてマッカー…

長谷川清総督と愛国乙女サヨン

昭和15年に長谷川清海軍大将が台湾総督に着任します。日露戦争のときに三笠に乗船しており、『三笠艦橋の図』で東郷平八郎海軍大将の背後に描かれた測距儀の上から軍帽だけ見えているのが長谷川清です。顔は見えませんが・・・ 台湾総督の着任式後の歓迎レ…

人命軽視のノモンハンのソ連

ノモンハン事件で国境の河を越してきたソ連軍を撃退したところ、高台にいたソ連軍は退却して来る味方の部隊を火炎放射器で焼き払ったという実目談があります。またソ連軍は退却しても5,6百メートル手前で停止したというのもあります。督戦隊がいたのです…

ノモンハン戦の日本兵の手記より

日本兵士は陣中日記というのを書く習慣があったようです。これは本来はよろしくないことのようで、戦場で倒れた兵士の日記から軍の動きが知られてしまうからです。1939年のノモンハン事件でも兵士が書いた陣中日記があります。ただ、陣中日記というのは…

発展した満州経済

1932年の満州国建国で日本経済と満州経済の関係が密接になります。1935年になると華北に親日政権が誕生します。日本が資本と技術、経営力を提供し、石炭鉄鋼を開発し、華北が資源の供給となり、重工業、軽工業、化学工業の日本と満州で消費財を供給…

フランクフルト学派

フランクフルト学派は西欧マルクス主義、知識人向けのマルクス主義といわれ、1923年ドイツのフランクフルト大学内に設立された「社会研究所」が起点となっています。初代所長はマルクス主義者のカール・グリュンベルクで、彼の死によって1930年にホ…

戦後になって民主主義になったというウソ

戦前は民主主義ではなく、戦後になってGHQが日本を変え日本国憲法が定められ民主主義になりました、と私は教えられて育ちました。ああ、GHQってありがたかったのか。戦前はひどかったのか。日本人は解放されたのだ、と思って大人になりました。 ポツダ…

第二次ノモンハン事件

1939年(昭和14年)6月からの戦闘が第二次ノモンハン事件と呼ばれるものです。 6月17日、ソ連軍司令官ジューコフは越境禁止命令を解除し、満州国諸点を爆撃。地上軍は満州軍を攻撃。日本軍は6月27日にハルハ河を越えて蒙古領内のタムスク飛行場…

東中佐の突撃 − 第一次ノモンハン事件

第一次ノモンハン事件で捜索隊(偵察任務のほか攻撃任務も行う)の東中佐ら19名は敵に包囲され、突撃攻撃を試みます。部隊の飯島少尉は戦車に飛び乗り、乗員を刺殺、次の瞬間に胸に弾が貫通し、もはやこれまでと敵戦車上で割腹しました。東中佐は日本刀を…

第一次ノモンハン事件

1938年には外蒙古(モンゴル)から満州へ166件の越境事件が起こり、1939年にはいると1月に来襲してきたソ連軍を逮捕。2月から4月にかけて17件の越境事件が起こります。 5月4日、外蒙古兵がノモンハン地区を襲撃、5月11日、外蒙古軍がが…

中国大陸史上初の法治国家「満州」

満州国は建国以来、国内の法を整備し、遵法精神の普及につとめ結果、中国大陸史上初の法治国家が整います。これには裁判官、警察官の増員と教育が必要で日本から満州へつれてくるのと、国立新京法制大学に日本人、満州人の学生を入学させ育成します。こうし…

民主党は既に立ち往生か

5分でわかる民主党マニフェスト(2009年衆院選)総点検 〜財源が足りない!赤字国債増発するのはナゼ?〜 http://blog.livedoor.jp/kawase_oh/archives/51580238.html ■所要額(増額要因):合計16.8兆円 (内訳) 1.子ども手当・出産支援: 5.5兆円 2.…

すばらしかった日本の教育 − 台湾

台湾の日本統治時代を知る人の著書にはいずれも日本教育のすばらしさを書いています。これは制度だけでなく、教師の教育にかける情熱、教育の質の高さを称賛しています。 台湾で行われた科目を拾ってみますと算数、理科、会話、音楽、体育、国語、地理、歴史…

戦前、天皇は神だったのか

戦前は天皇は神とされ、皆狂わされて戦争へ向かっていった・・・これが私が受けてきた教育です。でもよく考えると、戦前の日本人の教養ってそんな程度?文明人じゃなかったの?というレベルの話で、私の祖父母ってそんなバカだったのか?と考えるとそれはな…

張鼓峰事件

1938年(昭和13年、康徳5年)の7月29日から8月11日にかけて、満州国東南端の張鼓峰(ちょうこほう)で発生した満州とソ連の国境紛争です。日本は日中戦争が既にはじまって1年たっており、ソ連は外蒙古(モンゴル)に大量のソ連軍を入れて安全…

ゲンデン首相の悲劇

1932年(昭和7年)、外蒙古(現在のモンゴル人民共和国)はゲンデン首相が就任します。1935年(昭和10年)、スターリンの命を受けたソ連派がハルハ廟事件を起こし、満州国へ侵入しますが、ゲンデン首相は隠れ親日家であり、軍に国境線から数キロ…

ハルハ廟事件

1935年(昭和10年)1月8日、ソ連指揮下の外蒙古(現在のモンゴル人民共和国)軍が満州国境数キロを侵犯し、満州国の監視哨を追い、陣地を作り、人員を拉致し、馬を奪います。年末まで小競り合いの状態となります。前年11月にソモ相互援助秘密協定…