中国大陸史上初の法治国家「満州」

 満州国は建国以来、国内の法を整備し、遵法精神の普及につとめ結果、中国大陸史上初の法治国家が整います。これには裁判官、警察官の増員と教育が必要で日本から満州へつれてくるのと、国立新京法制大学に日本人、満州人の学生を入学させ育成します。こうした法整備は1937年に完成します。これによって満州国における日本人が享受していた治外法権は撤廃となります。さらに満州鉄道付属地の行政権も満州国へ移譲となります。西洋の植民地でこのようなことはあったでしょうか。満州国総務長官を務めた星野直樹はこう述べています。

満州の状態は一変した。治安は完全に確保され、国内には一人の兵匪もいなくなった。農業国から立派な工業国となり、総生産額は倍増した。国民生活は目覚しく向上した。東亜各地から集まってくる人は数多く、三千万人であった人口は五千万人を超えるに至った」「治外法権は撤廃され、満鉄付属地は廃止された。日本人も満州在来の人々と同じように税を納め、法規に従うこととなった」

 満州は中国大陸史上初の近代的な法治国家であり文明国家だったのです。満州にはユダヤ人も居ましたが、彼らもそう証言します。
 星野直樹満州の人口が5,000万人と述べていますが、1938年は3,900万人,1941年には4,300万人のようです。毎年約100万人が満州へ渡っています。ひどい所に人が集まったりなどしません。我々はGHQが作った「日本は満州を植民地にして搾取した加害者」という洗脳から抜け出さねばなりません。

 もちろん急進的に改革を進めたのはソ連の脅威も手伝っています。また急な改革は弊害も生みます。日系官吏が増えて他民族よりも俸給が多くなっていたり、協和会という建国の理想を護持する会を日本軍人がいつまでも陣取っていたりしています。(本来、協和会も満州国に移譲するはずだった)再び満州に赴任してきた石原莞爾は、これらの不満を聞きますが、東條英機に発言を封じ込められ孤軍奮闘し、とうとう閑職に追いやられてしまいます。



参考文献
 「日本の植民地の真実」黄文雄
 新人物往来社歴史読本」2009.9『石原莞爾の生涯』阿部博行
 「世界史のなかの満州帝国」宮脇淳子
 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著

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