OSSが仕掛けた日本共産化計画「GHQ憲法」

 1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。まだ全部は公開されていないようです。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっており、マルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムなどがいます。このOSSはコミンテルンの方針に従っていたわけでもないこともわかっています。

 この日本計画は1941年12月の日米開戦直後から準備され、日本の敗北を見越し、日本を以下に軍事的に壊滅させ、いかに戦後の日本社会を攪乱させるかを目的化したものです。天皇を象徴とする方針もこのとき立てられ、伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力の膨張を抑える方向へと誘導するというものです。これらはマッカーサーにも伝えられています。この話しは終戦連絡中央事務局の白洲次郎の回想と符合するところがあり、憲法改正にあたって白洲次郎は以下の回想をしています。


 ホイットニー(GHQ民政局)氏はつい、口を滑らせた。
「ミスター・シラス、あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ」
 つまり、”マッカーサー草案”は、既にマ将軍が豪州の地にあって、”日本本土侵攻作戦”を開始した時、その作業に取り掛かり始めていたのである。

 OSSの日本計画がマッカーサーに伝えられ、豪州で憲法作成の準備が行われていたということでしょう。白洲次郎がこの事実を知ったら「やっぱりそうか!」というに違いありません。
 OSSの計画は「社会主義軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」という2段階革命論であり、一気に天皇打倒するのではなく、他の改革を待って廃絶させる段階を待つというものです。以前書きましたが、憲法の「国民主権」「天皇は国民の総意に基づく」というのはまず第一段階のことなのです。ソ連が強行に皇室の廃止を求めたのに対してGHQは計画通り遂行していたのです。皇室の数を制限して立ち枯れ作戦も第二段階を意識してのことでしょう。憲法九条も次の革命のときに軍隊がなければ革命を起こしやすいという目的で作成されました。

 こうして日本共産化のための日本国憲法はGHQピンカーズ(共産主義者)によって着々と進められます。ハーバート・ノーマン都留重人氏らが中心になっていたといわれています。よく日本国憲法は7日間で作成されたといわれていますが、実際には準備周到だったわけです。ただ、7日間と言われるのは実際にGHQの民政局の局員を動員して作成していますから、骨子から条文を作るのはその期間で行ったと思われます。ナチス・ドイツの迫害からの逃れて日本にやってきたユダヤ人のベアテ・シロタさんは民政局に配属され、この作業を行っています。民政局のホイットニー准将はこういったと言います。

「紳士淑女諸君!君たちは今日から、憲法制定会議のメンバーとなった。マッカーサー元帥が日本国民に与える、新しい憲法をつくる歴史的任務を、我々に与えた」

 22歳だったペアテさんは驚いてあわてました。回想録には以下のように記してあります。
憲法の専門家といったら、畏怖する対象でしかなかった。とにかく、私が憲法について知っていることといったら、高校の社会科で学んだだけのことだった」

 民政局の25人が全くのど素人で、その中の一人、ミルトン・エスマンというユダヤ人の青年が「日本の専門家を招いて、相談するべきだ」と提案したところクビになってしまいました。

 GHQピンカーズが日本を破壊する目的で作成した日本国憲法はすばらしい憲法だと信じている日本人が哀れでなりません・・・



参考文献
 ワック出版「歴史通」WILL10月号別冊
   『野坂参三共産政権の誕生』田中英道
 河出書房新書「白洲次郎」『占領秘話を知りすぎた男の回想』週刊新潮75・8・21白洲次郎
 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著


広島ブログ クリックで応援お願いします。