戦後になって民主主義になったというウソ

 戦前は民主主義ではなく、戦後になってGHQが日本を変え日本国憲法が定められ民主主義になりました、と私は教えられて育ちました。ああ、GHQってありがたかったのか。戦前はひどかったのか。日本人は解放されたのだ、と思って大人になりました。

 ポツダム宣言という連合国から日本の降伏条件を記した宣言書の十項にこう書かれています。

日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化における一切の障害を除去すべし」

 「民主主義的傾向の復活強化」と書かれており、戦前民主主義的傾向があったと言っています。これは英国の日本専門家であるサムソン卿が加筆したものだそうです。

 昭和21年1月1日に昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を発布し、一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし・・・と明治天皇五箇条の御誓文を提示し、日本には独自の民主主義があることを強調しています。明治天皇五箇条の御誓文自由民権運動大日本帝国憲法につながっています。

 戦争中は戦時体制として軍部が主導権を持っていましたが、もともと日本には民主主義の考え方があったのです。戦時体制化でも国民の声の影響力は強かったと私は思っています。東條英機は首相のときに、市中に出かけ、衣料品が不足している、おしめに困っている、砂糖が足りないなどの主婦の声を聞いてまわっています。対米開戦に踏み切ったのも国民が支持したから行えたのでしょう。幣原外交に代表される弱腰外交に怒り、米の執拗な嫌がらせに国民が怒ったのです。
 戦後の婦人参政権や男女平等に基づく労働基準法というのは実は大日本帝国憲法下の帝国議会で日本主導で行っています。婦人参政権はワイマール時代にドイツ留学した堀切善次郎内相と大正デモクラシー普通選挙法を担当した坂千秋次官で行われています。大日本帝国憲法は先に書いたように五箇条の御誓文、自由民権化運動の結晶であり、運動婦人参政権労働基準法を認めるのになんら障害にはなっていなかったのです。言論の自由や結社の自由は東久邇宮内閣が組閣(昭和20年年8月17日)直後に方針を出しています。

 このように何でもかんでも戦前は悪で、戦後のGHQが与えた民主主義によって光がもたらされたというのはGHQがつくったウソで、GHQに媚びるマスコミや知識人たちが広め、彼等はそういってきた以上、自分達の権益を守るため「ウソでした」とは言えなくなって今日に至っているのです。



参考文献
 「『真相箱』の呪縛を解く」櫻井よしこ
 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政
 文藝春秋「父が子に教える昭和史」『民主主義』岡崎久彦
 「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子著
参考サイト
 昭和天皇「新日本建設に関する詔書」(国立公文書館
  http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=A04017784700
 WikiPedia五箇条の御誓文


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