マレーの分割統治

デバイド・アンド・ルール。


 現在のマレーシア、シンガポールは英国の植民地時代には分割統治方式をとっていました。マレーを三つに分割し、シンガポール、ペナン、マラッカの三州をイギリスの直轄植民地としました。もう一つは王国の形態を残した保護国を作りました。これをさらに二つに分割し、マラヤ連合州と非マラヤ連合州を作りました。土地だけの分割統治ではなく、マレー人は土着意識が強く、反抗心があるので、錫(すず)の鉱山開発やゴム農園といった重要な産業からは遠ざけ、僻地農村へ閉塞させました。そして同じ英国の植民地である香港から支那人を移住させ、鉱山開発に使います。そしてインド人を移住させて天然ゴムの栽培に使いました。英国はインドやビルマで成功した民族による分割統治、民族同士を反目させ、その上に君臨する方法を持ち込んだわけです。この分割統治は大変な後遺症となりました。
 分割統治の弊害はマレー人と華僑の衝突があり、1964年(昭和39年)に暴動に発展します。そして1965年(昭和40年)に両者の融和は不可能と判断され、シンガポールが独立しています。1969年には5月13日事件というマレー人と華人の衝突があり、暴動発生後の数日間で死者196人、負傷者439人の犠牲者を出す大惨事となっています。

 ジャーナリストの高山正之氏がクアラルンプールへ行ったとき、古本屋に漫画が積んであり、その中に英国のプロパガンダ漫画がありました。ビルマ戦線を舞台にして日本軍は悪逆非道でイギリス軍は強くて美男で優しく、ビルマ娘を助けるというストーリーだったそうです。その中のセリフで日本兵「リトル・イエロー・モンキー」と書いていたのですが、マレー人も有色人種ですからプロパガンダもうまくいくはずがありません。高山氏は古本屋の中華系マレー人に「リトル・イエロー・モンキーという呼称をどう思うか?」と聞いたところ、ものすごい目で睨んできたそうです。そこで「デバイド・アンド・ルール(分割統治)」を英語で教え、「中国系の人はマレーでは公務員になれないだろう?」というと、ようやくわかってくれたと言います。

 こうした分割統治はインドやビルマでも後遺症を残し、スリランカでも後遺症が認められます。スリランカはタミル人2割、シンハラ人7割、ムーア人1割という民族構成になっています。イギリスは少数のタミル人を使って多数のシンハラ人を支配させました。スリランカが独立した後、シンハラ人は仏教を国教化するなどシンハラ人優遇政策を取りました。このためヒンズー教徒のタミル人は激しく反発し、民族間抗争に発展して暴動や内戦がおこり、現在でもテロ事件が続いています。

 こうした白人の分割統治は日本でも戦後占領化でGHQが朝鮮人、台湾人を三国人と称して、朝鮮人が極悪非道な行為をしていくのをいくらか黙認していたことからも伺えます。この3民族が白人に牙を向いたのが、大東亜戦争ですから、3民族を離反させたほうが都合がいいわけです。さらに朝鮮半島を独立させて抗日組織を政府に当てました。韓国の反日化を目論んだわけです。また、沖縄も日本民族とは別という意識を持たせようとしました。本土復帰まで、琉球政府というように「琉球」と言う言葉をよく使っているでしょう。この後遺症は沖縄のマスコミを見れば一目瞭然でしょう。



参考文献
 「日本人よありがとう」土生良樹著
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之 共著
 桜の花出版「アジアが今あるのは日本のお陰です」
参考サイト
 WikiPediaシンガポールの歴史」「5月13日事件」

添付画像
 マレーの義勇兵1941年10月(PD)


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