奉祝「紀元節」

建国記念日紀元節


 2月11日は紀元節です。日本は神話起源の国であり、初代天皇である神武天皇の即位日です。

 日本敗戦後、GHQは祝祭日の名称を変更しましたが、紀元節は存続さえさせませんでした。この祭日を遺せば、日本人が日本人の歴史を取り戻し、主体性を回復する、と考えたからです。そしてこの日は宮中で「紀元節祭」が執り行われる日でしたが、この祭祀も廃止に追い込まれました。
 日本が主権を回復後、復活運動がおき、昭和33年(1958年)に国会へ議案が提出されました。その後、数度の廃案と再提案を経て、昭和41年(1966年)に、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という趣旨の「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立しました。しかし、紀元節祭は復活しませんでした。宮内庁の「事なかれ主義」のためでしょう。

 それでも昭和天皇は「臨時御拝」として今上天皇も祭祀を引き継がれています。

 ところで、山幸彦(ホオリノミコト)と海幸彦というのは聞いたことがあるでしょうか。この二人は天照大神の孫・ニニギノミコトが地上へ君臨した後にコノハナノサクヤビメとの間に生まれた御子神です。兄弟ですが、兄弟げんかしています。書くと長くなるので書きませんが、山幸彦が勝っています。この山幸彦と海の神の娘トヨタマビメの間に生まれたのがウガヤフキアエズといい、出産の時に、ヒメは山幸彦に「私を見ないでください」といって産屋にこもりました。山幸彦が密かに覗くとそこには八尋和邇(やひろわに)に変身して這い回るヒメがいました。おどろいて山幸彦は逃げ出してしまいます。八尋和邇というのはサメのことです。日本の神話ではサメは因幡の白兎でも登場し、地方によっては龍宮の使いといわれることもあります。沖縄の神話・伝承では海神の使いと言われているそうです。ちなみに私の出身の広島では山地のほうではサメのことを「ワニ」と呼んでいました。出雲(島根県)のほうになると一般的に呼んでいたかもしれません。食べたことはありませんがワニ料理というのがあります。サメを調理したものです。

 さて、逃げ出した山幸彦が忘れられないトヨタマビメは御子ウガヤフキアエズを育成するという理由で、妹のタマヨリビメを遣わします。そしてウガヤフキアエズが成長して、タマヨリビメとが結ばれて誕生したのがカムヤマトイワレビコノミコトであり、後に初代天皇となる神武天皇でした。イワレビコは兄のイツセとともに東征し、大和を平定し、橿原宮で即位して、ここに日本国が建国されたわけです。



参考文献
 「天皇論」小林よしのり(著)
 「日本の神話と古代史がよくわかる本」日本博学倶楽部(著)/島崎晋(監修)
 歴史人DEC2010「天孫降臨神話から読み解く天皇前史」吉田邦博
参考サイト
 WikiPedia「サメ」

添付画像
 神武天皇 安達吟光作(PD)

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