歴史は再評価される 〜 ニ・ニ六事件

 中東の情勢を考えると、ニ・二六事件を見直す丁度良い機会でしょう。

2・26事件 処刑された中尉の遺言など展示 山口・下関
毎日新聞 2月25日(金)13時17分配信

 1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校らが首相官邸などを襲撃し、高橋是清蔵相らが殺害されたクーデター「2・26事件」から26日で75年。事件決起人の一人で、死刑になった山口県下関市出身の田中勝陸軍中尉の、長男への遺言(複写)、写真など十数点を、下関市にある忌宮神社が初展示している。処刑を前に、田中中尉の家族を思う心情が伝わってくる。入場無料、3月6日まで。

 田中中尉は下関市の旧制豊浦中(現県立豊浦高)から熊本陸軍幼年学校へ進み、陸軍士官学校を卒業。野戦重砲兵第7連隊第4中隊に所属した。軍用トラックなどを率いてクーデターに加わり、軍法会議にかけられ、25歳で処刑された。

 獄中で妻の妊娠を知った田中中尉は「遺志」と称し、「万事努力せよ」「健康に注意せよ」「母の言を承ること 即ち父の言を承ると思ひ一念母の言に従ふべし」と長男への遺言をしたためた。辞世の句は「たらちねの親の恵みの偲(しの)ばれて只(ただ)先立って我は淋(さび)しき」。

 事件後、田中中尉の母親は地元の寺で、処刑された19人と自決した3人の菩提を弔っていた。母親の死後も田中中尉の遺品は保管されたが、決起した青年将校らはさまざまな記録から抹消され、豊浦中の卒業名簿にも田中中尉の名前はない。

 今展示は地元の歴史愛好家でつくる「下関歴史探求倶楽部」(大濱博之代表)と忌宮神社が初めて企画。大濱代表は「クーデターと聞けば、複雑な感情の人も多いだろう。一つの史実として75年前を振り返る機会になれば」と話す。

 戦時中、陸軍生活を送った下関市在住の直木賞作家、古川薫さん(85)は「テロリズムは絶対否定しなければならないが、将校らには『疲弊する農村のための世直し』という志があった。今、北アフリカでは民衆のクーデターが国の在り方を変えており、改めて2月26日は『暴力』には両面があることを考えさせてくれる」と話している。【尾垣和幸】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110225-00000011-maip-soci
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110225k0000e040058000c.html


 田中勝中尉はニ・二六事件で主に輸送を担当し、新聞社襲撃に加わっています。※1

 毎日新聞の記事中の「遺志」には意図的に掲載しなかったと思われるものがあります。長男の名前はここからとっていますから、作為的と見て間違いないでしょう。プレスコード※2がまだ生きています。マスコミの卑劣な行為です。歴史が正しく見れなくなりますので、記しておきます。

 孝よ生を神州に享くる者只国に報ゆるこそ第一なれ

 長男の名前は「孝」と命名されました。


※1 田中中尉については河出書房新社「2・26事件」太平洋戦争研究会(編)を参考に記載いたしました。
※2 GHQによる言論規制 詳しくは http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24628916.html

添付画像
 山王ホテル前の兵士(PD)

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