南極

白瀬中尉の南極探検その後

歓呼して迎えた日本国民。そして借金を背負った白瀬中尉。 明治45年(1912年)1月28日、日本初の南極探検隊、白瀬中尉率いる突進隊は南緯80度5分、西経156度37分に到達。ここまで世界の南極探検は22回行われたといわれ、南緯80度の壁を…

南極での喜びと悲しみ 〜 白瀬中尉の南極探検

白瀬中尉の南極探検でも犬を置いていかざるを得なかった。 明治45年(1912年)1月21日、白瀬中尉率いる日本初の南極探検隊7名が南極に正式上陸し、鯨湾に根拠地の小屋を作りました。白瀬隊長ら5名(白瀬、武田、三井所、花守、山辺)は突進隊を編…

白瀬中尉、南極へ突進

大和雪原到達100周年。 明治44年(1911年)11月19日、白瀬中尉を隊長とする日本初の南極探検隊は開南丸でシドニー港を出航しました。翌明治45年1月12日、鯨湾付近に到着します。シャチの群れが白瀬一行を歓迎し、アイヌ人の花守と山辺はこ…

挫折、そしてシドニーへ 〜 白瀬中尉の南極探検

一度挫折した南極探検。 明治43年(1910年)11月29日、白瀬中尉を隊長とする総勢27名、樺太犬29頭の南極探検隊が「開南丸」に乗り東京芝浦を出航します。本来は8月中旬に出航する予定でしたが、船の手配がなかなかつかず、大幅に遅れての出航…

よみがえる白瀬中尉

白瀬中尉の南極探検。 初代南極観測船「宗谷」は昭和37年(1962年)にその役目を終え、「ふじ」にバトンタッチし、「ふじ」は昭和59年(1984年)、「しらせ」にバトンタッチしました。 「しらせ」という艦名になったのは日本初の南極探検隊隊長…

神となった「宗谷」

海の守り神「宗谷」。 日本初の南極観測船「宗谷」は樺太犬タロ、ジロが乗った船ということで国民的存在となりました。そして昭和37年(1962年)、「ふじ」にその任務を引き継ぎました。その後、宗谷は北海道配備の巡視船の任務に就きます。 当時、北…

生きていたタロとジロ 〜 南極大陸

『どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか』 昭和32年(1957年)1月29日午後8時57分(日本時間30日午前2時57分)、日の丸が南極大陸に掲げられました。第一次南極観測隊が南極大陸に上陸したのです。観測…

白瀬中尉の千島列島探検

南極探検で有名な白瀬中尉は千島探検にも行っていた。 白瀬中尉は日本人初の南極探検家と知られていますが、その前に千島列島を探検しています。それは明治23年(1890年)の秋、仙台第二師団の機動演習に参加していたところ、児玉源太郎少将(のち大将…

白瀬中尉の南極探検

日本初の南極探検。 白瀬 矗(しらせ のぶ)は日本人初の南極探検を行った白瀬隊の隊長です。日本陸軍の軍人で、最終階級は陸軍輜重兵中尉。文久元年(1861年)6月13日、秋田県由利郡金浦村(現在のにかほ市金浦)で生まれました。家は浄土真宗の浄蓮…

海のサンタクロースになった「宗谷」

灯台補給船として活躍した宗谷。 南極観測船として有名な「宗谷」は多彩な顔があり、南極観測船として使われる前は灯台補給船として活躍しており「海のサンタクロース」を演じていました。当時の灯台は有人であり、僻地にある灯台に燃料や機材などを運ぶのが…

命がけの脱出、そして「宗谷」に

二度の脱出劇。そして「宗谷」が待っていた。 荻原雅隆さんは長野県小諸で生まれ、陸軍士官学校を出て、満州とソ連の国境に配属され、そこで終戦を迎えました。そして炭鉱で強制労働に従事させられることになります。一緒にいた10人の仲間は2年の間に4人…

引き揚げの悲惨さを見た「宗谷」

戦後を見た宗谷。 映画「南極物語」、ドラマ「南極大陸」でおなじみの船「宗谷」は南極観測船としての顔のほか、大東亜戦争期には海軍特務艦として活躍し、戦後直後は「引揚船」として活躍しました。 特務艦時代に宗谷に乗船していた中沢松太郎水兵長は終戦…

トラック島大空襲でも沈まなかった宗谷

不死身の船だった。 戦後、南極観測船となった「宗谷」は大東亜戦中、海軍特務艦として、ラバウル、ソロモン、ミッドウエー、特攻輸送、横須賀港空襲など数々の戦場をくぐりぬけ奇跡的に生き残りました。 昭和19年(1944年)正月、南方のトラック島北…

大東亜戦争を生き抜いた「宗谷」

幸運艦「宗谷」。 戦後、南極観測船となった「宗谷」は昭和13年(1938年)6月に「地領丸」として竣工。昭和14年11月に海軍籍に入り、「宗谷」として海軍特務艦となりました。そして大東亜戦争の中、「不沈艦」の神話が生まれ、遂に大東亜戦争を生…

南極観測船「宗谷」誕生秘話

宗谷はソ連が発注した船だった。 映画「南極物語」、ドラマ「南極大陸」に登場する南極観測船「宗谷」は昭和13年(1938年)2月16日、長崎で進水しました。実は宗谷はソ連から発注された船でボロチャエベツ(Volochaevets)という船名だったのです。…