白瀬中尉の南極探検その後

歓呼して迎えた日本国民。そして借金を背負った白瀬中尉。


 明治45年(1912年)1月28日、日本初の南極探検隊、白瀬中尉率いる突進隊は南緯80度5分、西経156度37分に到達。ここまで世界の南極探検は22回行われたといわれ、南緯80度の壁を破ったのは南極点を踏破したアムンゼンとスコット、南緯88度に到達したシャクルトンの3人だけであり、白瀬隊は4番目となります。別働隊はエドワード7世ランドに向かい、三つの頂がある中腹まで登り「大日本南極探検隊沿岸隊上陸記念標」を建てました。エドワード7世ランドはスコット隊もシャクルトン対も遠くから眺めて上陸を諦めた場所でした。

 その後、一行を乗せた「開南丸」はニュージーランドウェリントンを経由し、オーストラリアのシドニーに立ち寄り、白瀬中尉ら数名は定期船日光丸で一足先に日本へ向かい5月16日に横浜に到着し、「開南丸」は6月20日に東京の芝浦に戻りました。波止場には5万人の人で埋め尽くされ、歓迎式には数え切れないほどの人が列を作りました。

 後援会・大隈重信会長
「二百四トンの開南丸で南極へ向かったとき、そんな小さな船でたどり着けるものかと、あざける人がほとんどでした。しかしながら、このように大航海を終えて、ひとりの命を失うことなく帰ってきました。人間の体力と精神力の偉大さを示すもので、日本の航海史上に輝く功績と言ってもいいのではないでしょうか。支援してくれたみなさんとともに、探検の成功を祝したいと思います」

 6月25日、大隈重信をはじめ後援会幹事、白瀬中尉はじめ探検隊幹部は青山御所に招かれ、南極で撮影した活動写真を皇太子殿下(大正天皇)・同妃殿下(貞明皇后)・皇孫殿下三方(昭和天皇秩父宮高松宮)ならびに各殿下の台覧に供しました。南極で撮影したフィルムが上映され、白瀬中尉が説明を行い、特にアザラシ射撃やペンギン捕獲の光景には各殿下身を乗り出して興味深げにご覧になられたといいます。

 国民の熱狂に迎えられ、皇室・皇族から賞賛された白瀬中尉でしたが、寄付金の帳尻を合わせると数万円の使途不明金が出てきます。どうやら後援会が資金を遊興飲食費に当てていたようです。白瀬中尉は約4万円、現在のお金にすると2億円ぐらいの借金を背負うことになります。

 白瀬中尉は渋谷にあった自宅を手放し、大事にしてきた軍服も剣もすべて売り払い、南極で撮影したフィルムを持って全国を講演してしてまわります。内地だけでなく、朝鮮、樺太、台湾、そして満州国にも足を伸ばしました。

 次女、白瀬武子さん
「父は借金に追い立てられ、極地で映したフィルム一巻を携え、私を連れて全国に映画講演旅行に赴いたのです」「住居は転々と十数回変り、私が結婚して朝鮮に渡ってからは、それが更にひどく、時には別荘番をしたこともあります。そして幾許かの印税で昭和14年に建てたのが片山村の陋屋(ろうおく)だったのです」

 白瀬中尉の借金は昭和10年(1935年)ごろには片付いたと思われます。この少し前頃から白瀬中尉顕彰のムードが表面化してきました。昭和3年(1928年)〜4年のアメリカのバード海軍中佐が飛行機による南極探検が世界の注目を集めました。これは白瀬中尉が既に大正9年(1920年)に帝国議会に提出して流産となったアイディアと同じものです。また、昭和7年(1932年)にアメリカの地学協会が白瀬中尉の探検を認め、バード少将の探検でヘレン・ワシントン湾と命名したところを、「開南湾」と訂正し、ハル・フラッド湾を「大隈湾」と訂正した旨を発表しています。それから、昭和9年(1934年)には日本が南氷洋捕鯨に参加することになり、国民は白瀬の名を想起しました。同年、白瀬中尉の郷里の金浦町に「日本南極探検隊長白瀬矗君偉功碑」が建立されました。昭和11年には港区芝浦の埠頭公園に「南極探検記念碑」が建立されています。

 昭和21年(1946年)、大東亜戦争が終わった翌年の5月、白瀬中尉の埼玉県片山村にいた自宅にいました。そこには空襲で焼け出された三男の猛ら家族もおり、そこへ白瀬中尉の次女は娘を連れて支那から引き揚げてきました。白瀬中尉は85歳になっていました。その後、夫人、次女らとともに京都に移り、さらに愛知県西加茂郡挙母町に移り、魚料理の仕出屋の一室を間借りして住みました。あるとき、次女の武子が白米を手に入れて白ご飯を炊きました。白瀬中尉はうれしそうに頬張ります。これが白瀬中尉の命を奪うことになりました。高齢な上、栄養失調で体が弱っているところに白米を沢山食べたため、腸閉塞を起こしたのです。

 昭和21年9月4日、白瀬中尉は静かに息を引き取りました。白瀬の死後は、遺族の窮状を見かねて浄覚寺の住職が引き取ります。奇しくも、のちに第1次南極観測隊隊長となる永田武は、白瀬の遺族と同じ浄覚寺に疎開していました。



参考文献
 新潮文庫「極 白瀬中尉南極探検記」綱淵謙錠(著)
 成山堂書店南極観測船白瀬矗小島敏男(著)
 岩崎書店まぼろし南極大陸へ」池田まき子(著)
参考サイト
 WikiPedia白瀬矗
添付画像
 南極大陸沿岸の氷山 Auth:Jason Auch

広島ブログ よろしくお願いします。