海のサンタクロースになった「宗谷」

灯台補給船として活躍した宗谷。


 南極観測船として有名な「宗谷」は多彩な顔があり、南極観測船として使われる前は灯台補給船として活躍しており「海のサンタクロース」を演じていました。当時の灯台は有人であり、僻地にある灯台に燃料や機材などを運ぶのが灯台補給船です。

 灯台には台長、副長、係員、下働きなど最低でも4人の灯台守(とうだいもり)がいました。電気、がス、水道はひかれておらず、既婚の灯台守は家族と同居していました。

 昭和25年〜30年、稚内の葛登支(かつとしみさき)岬灯台守・佐藤吉栄氏へのインタビュー

− 灯台周辺の様子は?

「普段は人が近寄らないがけっぷちか山の上。集落といえば、崖下の浜辺に漁村がある程度のものでした」

− 電気や水道はありましたか?

「ありません。油を電気代わりに使い、飲料水は井戸水か雨水です。高いところにある灯台の水不足は宿命で坂道を上り下りして水を運びました」

− 生鮮食品は手に入りましたか?

「海がそばにあったから、魚は釣ればいいですし、野菜を作るだけの広い敷地はあります。結局、自分で働きさえすれば手に入るわけです。それに、食べ物はあるもので間に合うように体を順応させていましたから」

− 娯楽はどんなものがありましたか?

囲碁や将棋のような二人いればできるものはやっていました。カメラや絵に凝る人もいて、一芸に秀でた人も多かったです」

 宗谷は全国各地の灯台に、火をともす燃料の重油軽油、暖房用の石炭、機材の部品や日用雑貨品を運びました。年に一度、灯台補給船がやってくる時は、海上保安庁の検査と査察も入るため、灯台守にとっては気が重いときでもありましたが、家族にとっては最大の楽しみでした。宗谷が運んでくる補給物資にまじって、子供たちの絵本やおもちゃなどが含まれていたからです。普段、厳しい生活で暮らし、友達もいない子供たちにとって宗谷は「海のサンタクロース」だったのです。

 宗谷 司厨員(しちゅういん 食事担当)、馬場泰助
「燃料や日用品の運搬のほかに、子供にはおもちゃとか本を贈ったりしますよ。灯台守の家族や村人を船に招いて食事を食べさせたり、海が荒れたら船で調理した料理を灯台に運んだりします。この年に一回の機会をみんなが楽しみに待っているんです」

 鹿児島県 釣掛埼灯台長・海野一郎
「視察船、視察員なんといかめしい名でしょう。然し灯台に勤める人達にとっては又何と魅力のある言葉だろう。
 今年も又視察船の来る日が一日一日と近づいて来る。何か新しい情報が来はしないかと毎日郵便物の来るのが待ち遠しい。
 『ソウヤ一ニヒモジシヒュツパンス(宗谷12日門司出帆す)』とIさんから電報を貰う」

 補給船が去るときは寂しいものでした。
 前出、海野一郎
「柳沢灯台部長(後に、海上保安庁長官)は烈しくゆれる連絡艇のデッキにいつまでもいつまでも手を振っていられる、別離の悲しみがグウッと胸にこみあげる」

 やがて宗谷は南極観測船として選ばれ、「海のサンタクロース」の役割を終了することになります。昭和30年(1955年)、12月24日、竹芝桟橋で宗谷の解任式が執り行われました。

 灯台部長・土居智喜の挨拶
「このたび、本船、宗谷が、灯台補給船から南極観測船として、いわば灯台部としてはお別れの日を迎えることになりました・・・」「国民の将来の希望、夢を持たせ得るものであれば、この宗谷を捧げることは、決して惜しむべきではありません」

 土井部長は一通の手紙を紹介します。手紙は、子供たちが楽しみに待つ宗谷がもう来ないということを、どうやって言い聞かせれば良いかと切々に訴えているものでした。

「過去23年の現地生活、人並みの生活をさせてやりたいと思いつつも、仕事に愛着を覚えて、何も知らない子供達まで道連れにして子供達の楽しみを奪った私達は 唯一つ、一年に一度の宗谷の来航と 子供の喜びを見て頑張っております。年に一度の喜び、子供達の夢をこわさないように色々と・・・気を使っ・・・て・・・おり・・・」

 土居部長は天を仰ぎ絶句してしまいました。そして、最後、和歌を一句詠みました。

灯台を巡り馴染みしわが船の 南極へ航く栄を祝わん」



参考文献
 並木書房「奇跡の船『宗谷』」桜林美佐(著)
 新潮社「特務艦『宗谷』の昭和史」大野芳(著)
添付画像
 日本本土最南端・佐多岬に位置する「佐多岬灯台」(鹿児島県・南大隈町) Auth:hashi photo CC


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<宗谷 南極探検関連リンク>


白瀬南極探検隊記念館 http://hyper.city.nikaho.akita.jp/shirase/



白瀬日本南極探検隊100周年記念プロジェクト http://www.shirase100.jp/index.html


TBS TBS日曜劇場「南極大陸」 http://www.tbs.co.jp/nankyokutairiku/

船の科学館 南極観測船”宗谷” http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/soya.html
日本財団図書館 船の科学館 資料ガイド3 南極観測船 宗谷 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00032/mokuji.htm

みらいにつたえるもの http://www.geocities.jp/utp_jp/soya.html


喜びも悲しみも幾歳月  鮫島有美子
http://www.youtube.com/watch?v=U5pj60jC_i4

 昭和32年(1957年)、映画「喜びも悲しみも幾歳月」。灯台守の暮らしが国民に知られ、感動を誘った。