襲撃を受けたときの妻たち 〜 ニ・ニ六事件

軍人の妻達はどうしたのか。


 昭和11年(1936年)2月26日、政府に不満を持つ若手将校らが昭和維新を称えて決起したニ・ニ六事件が起こりました。決起部隊は総理大臣・岡田啓介内大臣・斉藤実、侍従長鈴木貫太郎、蔵相・高橋是清教育総監渡辺錠太郎、前内大臣牧野伸顕、を襲撃しました。

 襲撃を受けた中の鈴木貫太郎は一命をとりとめ、後に総理になります。なぜ助かったのか。
 鈴木侍従長を襲撃したのは安藤輝三大尉の隊でした。侍従長官邸には3名の警官がいましたが、突然の侵入に無抵抗のままサーベルを差し出しました。決起軍は侍従長の寝室らしい日本間を見つけ、奥山軍曹がふすまの奥に隠れている侍従長を見つけました。そこで安藤大尉に連絡しようとしたところ、後から続いてきた小隊長が侍従長へ向けて拳銃を三発発射し、鈴木侍従長はどっと前に倒れこみました。安藤大尉が到着し、侍従長の姿を見ると数名のものに指示してすぐ寝床の上に運ばせました。この間、夫人は一言も発せずジっと正座したままでした。安藤大尉は夫人に決起理由を手短に説明したところ、夫人は一つ一つうなずかれ、最後に「よく判りました」と述べます。

安藤大尉「最後の止どめをさせていただきます」

夫人「もうこれ以上のことはしなくてもよろしいでしょう」

 安藤大尉は少し考え込みますが、「ではこれ以上のことは致しません」といって軍刀を納めて去ったといいます。鈴木貫太郎は海軍大将ですから、奥さんは軍人の妻です。なんと肝がすわったことでしょう。普通の女性なら震えて縮こまっているところです。この機転によって鈴木貫太郎は一命をとりとめ、後の大東亜戦争後期に総理大臣となり終戦へと導きました。

 斉藤実内大臣も海軍大将です。坂井隊が襲撃しました。坂井隊が斉藤私邸に突入したとき、夫人が両手を挙げて立ちふさがり「待ってください」と制止しました。決起隊は夫人を押しのけ、斉藤内大臣に拳銃を乱射します。夫人は必死に夫の身体を庇い「殺すなら私を殺してください」と言って離れなかったといいます。

 斉藤内大臣を襲撃した坂井隊が次に襲撃したのが、渡辺錠太郎教育総監です。陸軍大将でした。ここでも決起隊の前に教育総監夫人が立ちふさがりました。「あなた方は何のためにきたのですか。用事があるなら何故玄関から入らないのですか」と大声で叫んだといいます。渡辺総監は拳銃で応戦し、銃撃戦となりますが、やがて決着がつき軍刀で止どめを刺され絶命しました。

 いずれもこれが軍人の妻か、という行動です。渡辺錠太郎邸にいた憲兵伍長はこのとき「とうとう来るものが来たと思った」と述べていますから、襲撃を受けた軍人の妻たちは「もしも」の事態を想定し、前もって「軍人の妻」としての覚悟をしっかり持っていたのかもしれません。



参考文献
 ちくま文庫昭和維新の朝」工藤美代子(著)
 河出書房新社「図説 2・26事件」太平洋戦争研究会(編) 平塚柾緒(著)
参考サイト
 国立公文書館 陸軍省戦時警備日誌 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006083119571090030&
  ・斉藤内大臣夫人が負傷したことが書かれている。(P11)
   「内府を即死せしめ夫人の右上膊部(腕)擦過傷を負わしむ」
  ・鈴木侍従長が死亡したことになっている。(P14)
   西園寺公が襲撃を受け死亡したことになっている。
   P19に西園寺公が無事であったことが書かれている。

添付画像
 決起直後の半蔵門(PD)

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