神兵、東方より来る

予言どおり神兵がやってきた。


 昭和16年(1945年)12月8日から始まったマレー攻略戦は鯉兵団が主力となります。鯉兵団は大日本帝国陸軍の広島を衛戍(えいじゅ)とする師団です。「日本一の機甲兵団」とも言われ、マレーでは自転車を連ねて走り「銀輪部隊」とも言われました。このほか18師団、近衛師団が参加しています。日本軍の進撃を見たマレー人にはマレーに伝わる伝説を思い起こさせました。

 ジョヨボヨの神話 
「マレー人を苦しめる白い悪魔を、東から来た黄色い軍神が打ち破り、ジャゴンの花が咲くまでの短い期間だけこの地にとどまり、やがて東へ引き揚げるが、そのあとに平和なマレー人の国が建設される」

 もうひとつ神話があります。
「マレーの神は、二人の兄弟を生みたもうた。兄は暴れん坊で弟は大人しかった。兄は国を捨てて海原遠く乗り出し、いまではますます強く、性格は激しさを加えている。弟はいよいよ大人しく、やがてその国は他人から奪われる。そして、弟はますますおとなしさを加えた。弟がほんとうに困ってしまえば、いつかは強い兄が助けに来てくれると弟は思っているのだ。その弟がマレー人なのだ」

 マレー人は東方から神兵、もしくは兄がやってきたと歓喜し、日本軍の戦車が来るとバナナやパイナップルやパパイヤ、ドリアンなどを投げて込んで歓声をあげました。

 タイ・マラヤの国境から約30キロの地点、ジットラに「ジットラ・ライン」がありました。英軍は日本軍の進撃を3ヶ月は食い止めると豪語していました。日本軍は豪雨を突いて佐伯中佐率いる捜索第五連隊(軽戦車部隊)が敵陣へ突入します。敵陣中なので孤軍奮闘し、翌日になっても友軍がやってこないので、戦車隊は全員死を覚悟しました。その晩、河村旅団が夜襲を敢行し、敵が退却。戦車隊は生き残りました。ジットラインはわずか2日の攻撃で突破しました。
 
 藤原少佐(F機関長)
「武運があった、神助があった。民衆が我々の絶対の味方だった。天、地、人、みな味方だった」
 
 そして日本軍はアロールスターを占領。ペナン島を無血占領します。英軍は橋を落としてたくみに退却し、時間稼ぎをしていましたが、スリムの戦闘では島田戦車隊が破天荒な戦車隊による夜襲作戦を敢行し、わずか12両の戦車で敵中深く突破し、救援に駆けつける敵部隊を次々撃破し、さらに敵中進入し、敵陣後方の野営地から砲兵部隊、司令部まで撃破しました。敵衛生隊にまで遭遇しています。このため軍司令部では島田戦車隊は全滅したと勘違いしたほどでした。英軍の陸軍史には「戦史上、最大の敗北」と記載されているそうです。
 さらに日本軍は休む間もなくクアラルンプールを占領し、ゲマスで勇猛なオーストラリア部隊と戦い突破し、1月31日にはマレー半島南端のジョホールバルへ突入しました。わずか55日の快進撃です。そしてシンガポール攻略戦となり2月15日に英軍が降伏します。
 
 後にシンガポールの首相となったリー・クワンユーは戦後、自衛隊の陸将となった元F機関長、藤原岩市氏に次のように訊ねています。
「英、豪、印連合軍は非常に多く、兵器は近代的であったのに、地下足袋を履いて、宮田自転車に乗った貧弱な日本兵に完敗した。日本軍の銃と砲は骨董品のような明治38年式なのに、なぜ勝てたのか」
 
 藤原岩市氏はこう答えました。
「絶対多数のマレー人と、インド人と、タイ人が全部我々の味方でした。反対に民衆を敵に回したイギリス軍と華僑の連合軍は少数派だから完敗したのです」



参考文献
 「アジアに生きる大東亜戦争ASEANセンター編
 「日本人よありがとう」土生良樹著
 「サムライ戦車隊長」島田豊作著
参考サイト
 WikiPedia「第5師団 (日本軍)」

添付画像
 マレー作戦で使用された自転車(PD)

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RisingSun また日は昇る 〜緒戦の快進撃〜
http://www.youtube.com/watch?v=p3uDIKUKouk