ビルマ戦線の日本軍の強弱

日本軍もピンキリだった。


 ビルマ戦線の日本軍兵士の記録を読んでいると兵団の強弱や地域性についてよく書かれています。強い兵は56師団(龍兵団)18師団(菊兵団)で九州の兵団です。弱いのが53師団(安兵団)、15師団(祭兵団)。
 
 アーロン収容所を書いた会田雄次氏は安兵団です。連合軍は日本軍の強弱を知っており、「菊」の名を冠する第18師団との交戦を名誉と思っていましたから、弱兵の安兵団のことは知っていたでしょう。戦後の抑留者の待遇もこの兵の強弱も影響しているかもしれません。インパール作戦を戦った31師団(烈兵団)の兵士の記録とアーロン収容所の安兵団の記録では抑留時に随分と英軍からの待遇が異なる印象です。
 
 菊兵団は日本軍最強と言われ、他の師団から一目置かれていました。菊兵団から他の師団へ支援へいくと、大変喜ばれ実に丁寧な待遇を受けたようです。盗みを働いても大目に見られ、「泥棒部隊」とも呼ばれたようです。
 安兵団は大阪、京都、神戸、祭兵団は京都、愛知などが中心で、一般に都会の兵は弱いと言われ、菊兵団の中隊が祭兵団の応援にいったとき面白いエピソードがあります。危険な敵情偵察を任された将校がおり、菊兵団の将校が「大変な命令をもらいましたね。あんまり無理せんほうがいいですよ」というと、
 
祭将校「ナーニ大丈夫ですよ」「今の命令ですが、あんな命令おかしくて聞いておれまっか」

菊将校「エエッ、命令を聞かないんですか」

祭将校「そうです。命令どおりやっていたら、命がいくつあってもたりまへん」「この負け戦、どうにもなりまへん。敵のところなど行きまへん」

菊将校「偵察に行かないで、どうするのですか」

祭将校「マ、これから1キロぐらいマンダレー方面に出かけて寝てまっさ」

菊将校「敵がきたらどうするのですか」

祭将校「抵抗なんてしまへん。サッサとよけて敵さんを通します」

菊将校「それじゃ味方が不意を衝かれて困るでしょ」

祭将校「そうでんな、仕方ありまへん。あんな命令出す方が間違ってますさかい。敵に食いつかれたらヤラレテルーと高見の見物ですわ」

菊将校「しかし、部隊に帰らんわけにはいかんでしょ、部下たちもいることですし」

祭将校「いつかはね。適当なときにエライ目に遭いましたと、くたびれた顔をして帰りまっさ」
 
 まあ、屈強を誇った日本軍もピンキリだったということでしょう。

 このほか、新潟の兵は上官の命令に無条件に従い、自分たちの行き先さえも知らないとか、四国善通寺の山砲兵は軍物資を大胆な方法で失敬するものの戦場では頼もしいなど、なかなか面白いものです。



参考文献
 「死守命令」田中稔
 「アーロン収容所」会田雄次
 「真実のインパール」平久保正男著
参考サイト
 WikiPedia:「18師団(菊兵団)」
 
添付画像
 ビルマの日本軍(PD)

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