消された歴史・漢口事件

歴史抹殺主義


 梅田正巳著「近代日本の戦争」は日本の駐兵や出兵が正当なものかを検証していますが、「関東軍満州駐兵と満州事変」(P91)の箇所で以下の3点の歴史を抹殺しています。

 昭和2年(1927年)3月 南京事件
 昭和2年(1927年)4月 漢口事件
 昭和3年(1928年)4月 済南事件

 南京事件に続いて漢口事件について消された史実を記してみます。

−−−−− http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/21430617.html
 1927年(昭和2年)4月、日本の水兵が散歩していると子供が石を投げてきて、水兵が追っ払う、そんなことをしている内に支那人が多く集まってきて日本水兵に言いがかりをつけはじめ、日本水兵を取り囲み殴り始めます。他の日本兵が顔を出すと彼らも殴られます。支那人の一人が日本兵に突き飛ばされると、支那人は気絶の演技をし、他の支那人が「殺された」と叫び始め、暴徒と化します。暴徒は凶器を持って手当たり次第に破壊し、略奪します。

 この暴動の中で日本人は拉致されますが、支那当局は暴徒に対して「日本側に有利な条件を容れしむる人質なれば、そのまま返さば承知せず」と安易に解放するな、と言っているのです。弱腰外交の日本につけ込んでいるわけです。

 揚子江一帯に住む約3,000人の日本人は長年苦労して作り上げてきた財産、資産、家宅を手放し命からがら日本へ帰ってきました。租界も領事館も日本の主権であり主権が侵害されたにも関わらず、政府は何もしなかった、軍は動かなかったのです。

 内閣は田中義一内閣に代わり、ようやく自衛のための武力行使は辞さないことになりますが、英国は対中融和に大転換し、支那ナショナリズムの矛先が日本へ行くように仕向けられました。そういった変化を日本は読み取れず、日本外交は完全にボケていたといえます。
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 梅田氏は日本人被害の歴史は徹底的に隠しています。(ただし尼港事件については少し述べている) また、日本人の生命と財産の保護については一切無視して論じています。その点からもこの事件には触れたくなかったのでしょう。歴史を抹殺してでも日本人に贖罪意識を持たせたいためだと思います。



添付画像
 処刑した馬賊らの首と思われる。1928年(PD)

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