大東亜戦争時のビルマ人とインド人

 会田雄次著「アーロン収容所」にはインド人とビルマ人の仲が悪かったことが書かれています。会田氏が歩哨にたっているとインド兵が逃げてくる。武装していないので非番で休暇をとっていたと思われ、服は破け、顔を打たれたらしく血が流れていました。追いかけて来るのは一塊のビルマ人らで女性の姿も見えます。このインド兵は会田氏ら日本兵捕虜に助けを求めます。ここはおもしろいところで、同じインド兵のところに助けを求めないのです。インドは宗教各派や地方、カースト別に隊が異なっているので簡単にインド兵に助けは求められず、なんと日本兵捕虜に助けを求めたのです。
 実は日本兵捕虜とビルマ人が闇取引をやっていたのをインド兵が禁止し、物資を没収したりしたのでした。それで何かの拍子に怒りが爆発したものです。インド兵の親玉は英軍です。英軍は自らはインド兵を使って取り締まりをさせていました。デバイド・アンド・ルールですね。民族間を対立させ、その上に君臨統治する白人の手法です。

 英国はインド人を使ってビルマを支配していました。ビルマ国防軍のアウンサン(スーチー女史の父)もインド人に父を殺されています。インドのパンジャブ・ライフル部隊はビルマ人を殺しまくりました。ビルマ人はそんなインド人に協力するのを拒否しました。ラングーンに自由インド臨時政府を置くのを拒否。インパール作戦にもそっぽを向きました。

 白人の有色人種支配は数百年かけたノウハウがあり巧みです。「アーロン収容所」によると不良英軍士官がおり、腹をたてたビルマ人らが宿舎を襲撃してくるので、見張りには日本兵捕虜をたてるという驚いたことをしています。インド兵だと襲撃をやめないからです。日本兵が見張りにたつと襲撃してこなくなりました。
 日本兵捕虜が大工や左官、機械工など高い技術能力があることを知った英軍はこれを商売に使います。ビルマ人やシナ人の民営工場に派遣して働かせてビルマ人の数倍のカネをとるのです。「日本兵は仕事をやれやれと強制すると反抗してかえって動かなくなる。自信が強いからなるべくおだてて使うとうまくいく」というパンフレットまで用意するという手の込みようでした。

 日本では終戦後に朝鮮進駐軍と称する朝鮮人が横暴を働いていましたが、GHQは半ば黙認しています。これはデバイド・アンド・ルールですね。台湾人を戦勝国民と位置づけ優遇したのもデバイド・アンド・ルールでしょう。沖縄の諸施設の名称を「琉球」に変更し、内地と距離を置くよう仕向けたのもデバイド・アンド・ルールです。

 さてミャンマービルマ)ではアウンサン・スーチー女史の話がよく聞かれますが、彼女は英国が身元を引き受け、教育し、ハンサムな英国人と結婚させました。父の暗殺犯は英国の歴史が言うウ・ソーだと洗脳されました。彼女は英国とインドの利益の立場の人です。ミャンマーは民主主義 vs 軍政という単純な構造ではないようです。デバイド・アンド・ルールは今も生きています。



参考文献
 「アーロン収容所」会田雄次
 「歴史通」WiLL2009.7月『神のごとく振舞った英国人が青ざめた』高山正之
 「歴史通」WiLL2010.3月『白い人が仕掛けた黒い罠高山正之

添付画像
 シュエタゴンパゴダ(YashiWong氏所有)

広島ブログ クリックで応援お願いします。