大東亜戦争を戦った朝鮮人


 大東亜戦争当時、朝鮮人は日本国民として大東亜戦争を支持し戦いました。

朱耀翰(韓国国会議員)昭和16年12月14日の米英打倒大講演会


 正義人道の仮面を被り、摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。君は口を開けば人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、日本人が人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき、 これに反対し、削除したのはどこの国であり、黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをあたかも野獣狩りをするが如くしたのはどこの国のものであったか。
しかし、君等の悪運は最早尽きた。一億同胞なかんずく朝鮮半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜の聖戦の勇士とならんことを誓っている。

 昭和19年頃に東京に留学していた朝鮮人が、京城(ソウル)の韓国人街の映画館に入ったところ、ニュース映画で上映される日本軍の戦況に関するニュースに観客が熱狂する様子を見て驚いたといいます。東京の映画館でさえこれほどではなかったそうです。

 昭和13年に軍隊が志願兵を募集したところ、定員400人のところ2,946人が応募しました。そしてその後の募集も驚異的な倍率になります。

 1939年  12,348名志願   613名合格
 1940年  84,403名志願 3,060名合格
 1941年 144,743名志願 3,208名合格
 1942年 254,273名志願 4,077名合格
 1943年 303,394名志願 6,300名合格

 崔貞根(高山昇)中尉は沖縄戦で敵鑑哨戒中、敵艦船群を発見し、敵艦船めがけて突っ込みました。急降下爆撃中に被弾して帰還は望めなかったため咄嗟の判断だったといわれています。以下その感状です。

「身は半島に生まるるも 至誠忠常に国を憂へ 率先して陣頭に立ち 部下のコウ望殊に厚し」

 昭和20年の硫黄島の戦いでも朝鮮人軍属はまともな武器もないのに勇敢に戦ったことが記録されています。爆雷を抱いて敵戦車に突入した人も一人や二人ではなかったといいます。
「元山地区陸戦隊の大多数は半島人にて編成しありたるところ、勇猛果敢昼夜なき白兵を持って敵を撃退。指揮官の下、同地を死守する統制ある戦闘を実施しつつあり、陸海軍賞賛のマト・・・」(大本営宛て電文)

 現在、韓国では日本に協力したものは「民族の反逆者」と言われます。果たしてそうか?韓国人も先人は崇高な使命感を持って大東亜戦争を戦ったのではないでしょうか。そして目的は見事達成されたのです。

朴鉄柱(韓日文化研究所)昭和42年ソウル


 大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼビッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐ回復できたではないか。二百数十万の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。

 本当は韓国人にとっても大東亜戦争で成し得たことは誇るべきものだったのです。



参考文献
 「親日派のための弁明」金完燮
 「渡部昇一の昭和史」(続)渡部昇一
 小学館SAPIO 2009/9/9「『民族の反逆者』か『祖国の英雄』か、2つの歴史が引き裂く朝鮮人将校の『特攻精神』」蠔淵弘
 「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
 「硫黄島玉砕」多田実著
参考サイト
 愛国心を育てる名言 - 朝鮮人大東亜戦争 http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=173

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 皇国民を目指した朝鮮人 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/21203892.html

添付画像
 朝鮮人志願兵による市街演習(日本人として戦った朝鮮兵より http://nandakorea.sakura.ne.jp/frame.html

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