支那軍の督戦隊


 支那軍には督戦隊というのがあります。兵士の後方から「それ行け!」「やれ行け!」というより敵から退却してきた兵士を撃ち殺すのが主な役割です。
 日本に留学していて支那へ帰国したら徴兵にとられてしまった陳登元君の記録にも督戦隊のことが書かれています。戦闘は上海戦のようです。支那軍総崩れになって退却するときのものと思われます。


「敗走千里」陳登元著/別院一郎訳・教材社・昭和13年3月(GHQ焚書図書開封3)

 長江の氾濫にも似た、死にもの狂いの退却軍の激流は、併し、幾ばくもなくその流れを停止した。
 奇跡が現われたのだ。
 奇跡・・・まさに奇跡に違いない、長江の氾濫を止め得たと同じ意味においての奇跡だ。
 が、この奇跡には相当の犠牲が払われていた。少なくとも一万・・・一万に近い命を犠牲にしての奇跡だ。
 では、その奇跡の正体は何か?
 督戦隊である。督戦隊の機関銃である。激流が巨岩にぶつかって飛沫(ひまつ)を揚げるように、退却軍の前面、側面に陣していた督戦隊の機関銃は一斉に猛烈な火を吹き、雨あられと銃弾を浴びせかけて来たのである。
 見る間に死体の山が築かれたが、それでも後ろから後ろからと押してくる退却軍の流れは止まない。死体の山は段々高くなっていった。そして遂にその激流を阻止したのだった。
 督戦隊の機関銃はそれで沈黙した。併しそれはいつでも射撃し得る態勢をもった不気味な沈黙だった。

 すさまじいですね。味方の兵を機関銃で撃ち殺しまくるのですから。

 南京戦でも城門へ逃げ込もうとしたりする兵は督戦隊に撃ち殺されました。陥落時には下関に近い門に城内から兵士が逃げようと殺到し、督戦隊に撃たれまくりました。ニューヨークタイムズのダーディン記者は「死体の高さは6フィートの小山を築いた」と書いています。(彼は日本軍の仕業と書いたが実はシナの督戦隊のしわざで後にそう書いている) 6フィートといえば、えーと、約2メートルです。死体の上を乗り越えようとして督戦隊に撃たれて、死体となって積もって、更に乗り越えようとするものが来て撃たれて・・・という感じでしょうか。督戦隊に阻まれて逃げられないので、ロープを使って城壁をよじ登ったり、便衣になって隠れたりしたのでした。


参考文献
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二
 「『南京事件』国民党極秘文書から読み解く」東中野修道

添付画像
 カーチス P-40が頭上を飛ぶ中、国民革命軍の部隊が行進して行く(PD)

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