愛国虚言


 1930年代に上海におかれた米国総領事館の副領事であったラルフ・タウンゼントはアメリカ政府が支那政府を盲目的に信用し、逆に日本を敵対視していることに警告を発していました。その中にこんな言葉があります。

支那に長くいる英米人に、支那人の性格で我々とはもっとも違うものを挙げて欲しいと訊くと、ほぼ全員が躊躇なく、”嘘つきである”と答える」

 「愛国虚言」・・・ウソをついて国に報いるというものです。1999年の「日本新華僑報」で林思云という人が以下のように述べています。
「近代に入り支那人の心性には国を愛する余りの誇張表現である『愛国虚言』が出現したという。国への愛が深ければ深いほど、また国の敵への恨みが深ければ深いほど、虚言の規模は大きくなる。そしてひとたび『愛国虚言』が出現すれば、たちまち民衆にとてのタブーとなり、虚言と知りつつも敢えて異論を唱えられない状況が構築される」

 林氏によると事実を歪めたことによる重大な代償をともなったといいます。大躍進の餓死者、文化大革命の異常、天安門民主化運動の混乱。おもしろいのは「南京大虐殺」は虚言性の故に日本人が支那に対して謝罪しなくてもよいという理由を与えてしまった、と言っているところです。南京虐殺は「虚言性」ではなく、「虚言」そのものです。

 支那には「愛国無罪」という言葉もありましたね。読み方が良くわかりませんが「政治掛帥」という言葉もあります。政治がすべての学問に優先するというものです。歴史の研究は史実の研究よりも政治へ奉仕するのが優先するというものです。だから政治のために歴史を捏造、歪曲することは正当な行為となるのです。
 昨年の3月に中共共産党ナンバー5・李長春氏「良好な世論を作るよう努力してほしい」と日本のメディア14社に語りましたが、我々の感覚では「世論は作られる」ですが、支那の感覚では政治優先で「世論は作る」のが当たり前ということです。
 
 だから支那の政治家や知識人は「南京大虐殺」をはじめとする歴史認識チベットウイグル問題でもウソをつき続けます。ウソだと知っている。でもウソは国ため政治のために正当な行為だと思っているのです。

 このように支那は日本とは全く考え方が違うわけです。果たして日本はこのような国と付き合うべきなのでしょうか。

 ジャーナリストの櫻井よし子さんはブログで「人的交流を進めることで、中国人の反日感情は必ず消えていく。日本人は日本のあり方に自信を持ってよいのだ」と述べています。(http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2007/06/02/post_515/) ブログでは中共の友人のことや留学生のことが書かれています。確かに私の経験でも中共から来日した人は日本人の礼儀正しさ、正直さ、性善説社会に驚き、賞賛し、日本流社会の中に溶け込んできます。しかし、彼らは国に帰ったらどうなるでしょうか。再び「愛国虚言」戻らないでしょうか。



参考文献
 「騙しの交渉術」杉山徹宗著
 「『南京事件』の探求」北村稔著
 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト
 櫻井よしこブログ「日本を知れば消える反日感情 日中の人的交流が示す可能性」
    http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2007/06/02/post_515/

添付画像
 建国宣言を朗読する毛沢東(PD)

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