満洲某重大事件
1928年6月、蒋介石の北伐によって満州の軍閥の張作霖は奉天へ向かう途中に爆殺されます。日本の権益を無視する張作霖を見限ろうとする排張論の河本大佐の仕業とされてきました。しかしながら最近ではコミンテルン陰謀説も浮上しています。またこの頃、張作霖の息子の張学良は国民党に秘密入党していたことが分かっており、関与していた可能性もあります。
ユン・チアン著「マオ」
「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロッキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」
河本大佐の手記で「私が張作霖を殺した」となっていますが、手記は河本大佐の義弟が書いたものであり、この義弟は戦後、中共の強制収用所に長くいたのでマインドコントロールされていた可能性があり、信憑性は薄いとされています。張作霖は北京でソ連大使館に踏み込んで、国民党とソ連が組んでいる証拠を押収して支那語に翻訳して公表していたのでかなり恨まれていました。
リットン報告書では「この殺害の責任は今日まで確定されていない。惨事は神秘のベールで覆われている」と記しており、イギリス情報部はソ連の仕業ではないかという報告をし、日本政府が関東軍の仕業と思い込んで混乱していることを知り、更に四ヶ月にわたって調査し、ソ連が事件の当事者であるという結論に達したそうです。
いずれにしろ日本は関東軍の仕業と思い込み、田中義一首相は昭和天皇に事の顛末を上奏すると、昭和天皇は「この前の言葉とは違うではないか」(関係者処罰をうやむやにしようとしたため)と激怒し、田中内閣は総辞職することになります。張学良は全満州に中華民国の国旗をかかげ、国民党に帰順し、国民党は日本の権益を全面的に否定する法令を次々制定し、日本を追い込んでいきます。
参考文献
「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政著
新人物往来社「歴史読本」2009.9『張作霖爆殺事件』戸部良一
「日本よ、歴史力を磨け」櫻井よし子編
「日本は侵略国家ではない」渡部昇一・田母神俊雄共著
「日本を賤しめる『日本嫌い』の日本人」渡部昇一著
講談社学術文庫「昭和天皇語録」
参考サイト
WikiPedia「張作霖爆殺事件」