田中メモランダムとノモンハン事件

 田中メモランダム(田中上奏文)第26代内閣総理大臣田中義一が1927年(昭和2年)、昭和天皇へ極秘に行った上奏文であり、支那侵略・世界征服の手がかりとして満蒙(満州・蒙古)を征服するための手順が記述されている捏造文書です。1929年に南京で出版されている「時事月報」に漢文で書かれた「田中メモランダム」が報じられました。これは張学良らの排日工作ですが、手が込んでおり、多くの国が信じていたようです。東京裁判でも「共同謀議」の根拠として検察側の冒頭陳述で述べられています。

 1931年、ソ連満州事変が始まると田中メモランダムを大々的に広め、満州国が出現するとノモンハンを通る戦での国境を引きなおします。1939年のノモンハン事件ではソ連側はこの田中メモランダムが実行されはじめたとうたい、ソ連側は兵士に対して「日本の侵略」として、そこからモンゴルを守るという戦争目的を徹底していました。
 
 戦後、1989年にソ・モ・日の研究者を招いたハルハ河円卓会議というのがモスクワで開催されています。日本から出席したのは言語学者田中克彦氏だけでした。そこで日本代表として何か発表して欲しいと急にいわれた田中氏は徹夜で原稿を書き、「辻政信という参謀が名誉欲しさと冒険心で最初から最後まで動かしてきた」と論じたところ予想していたより大きな反響(不評・反論)で迎えられたそうです。ソ連の研究者は田中メモランダムによって大規模な侵略計画が実行された、ということを信じていたのです。さすがにソ連崩壊後、田中メモランダムを信じているロシア研究者はいないようで、ほとんど言及されないらしいです。中共ではまだ信じられているのではないでしょうか。(もしくは政治利用されている)


参考文献
 「ノモンハン戦争」田中克彦
 「騙しの交渉術」杉山徹宗著
参考サイト
 Wikipedia田中上奏文


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