朝鮮独立の志士が活躍した時代

 19世紀後半の朝鮮半島は経済、財政が窮しており、不良銅貨を造り、閔氏派・李朝は私腹を肥やします。この頃の朝鮮では補助貨幣(穴あき銭・ヨプチョン)があるぐらいで、ほとんど物々交換でした。農地においても朝鮮では地主が所有し「奴婢」が働いていました。「奴婢」には戸籍すらありません。国土は荒れ放題で、道路も鉄道もない。橋はない、河川には堤防もない。農地は野放し。
 日韓併合前の朝鮮半島の様子が写真として残っており、ネットで捜せば見つけることができます。現在の韓国政府はネット上でこの写真が出回るのを阻止しようと動いていると聞きます。

 よくこの頃、日本が朝鮮半島を植民地化を目指して動いていたという見解を聞きますが、日本には植民地化という発想自体が薄いばかりか、このような荒れた国土から何の利益がとれるのでしょうか。日本の脅威は清国とロシアであり、朝鮮が独立国家として存在し、日本と友好関係であることが何よりの国益にかなうというのが明らかです。

 朝鮮独立の志士は金玉均(キム・オッキュン)、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)があげられますが、この人たちは明治維新での日本の独立と開化政策をモデルにし、日本でそれを学んでいます。これに対し閔氏派・李朝は清国の属国として開化を推し進めようとしていました。金玉均、朴泳孝は朝鮮の独立を支持する日本の援助を受けて閔氏派の打倒を目指していました。金玉均は閔氏派の陰謀により悲運の死を遂げますが、彼の意志を継いだものは多くいました。

 日清戦争後、朝鮮は安定したかに見えましたが、三国干渉で日本が列強に屈すると再び不安定となり、閔氏派・李朝と朝鮮開化党との対立が表面化し、1895年10月乙未事変(いつびじへん 閔妃殺害事件)が起こります。閔妃を殺害したのは禹範善(ウ・ボムソン 朝鮮の新式軍隊、訓練隊大隊長)で、同事件に加担した日本人軍事顧問の岡本柳之助と月成光は親交深かった金玉均の遺愛の刀を振るったとも言われています。


朴泳孝・・・太極旗のデザインを考案したとされる。2005年8月29日親日派売国奴)と認定。(売国奴の考案した旗が国旗???)



参考文献 :
 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト :
 WikiPedia「朴泳孝」「乙未事変」「禹範善
 池 上 http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/ikegami.htm
参考画像(当時の朝鮮)
 http://photo.jijisama.org/
参考映像(当時の朝鮮)
 http://www.youtube.com/watch?v=GHV5SY5GK6Y

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