ベトナムの援蒋ルート

 援蒋ルート(えんしょうるーと)とは大東亜戦争時に主にアメリカ、イギリス、ソ連中華民国を軍事援助するための輸送路のことでビルマルートが有名だと思いますが、仏印ルート(ベトナム)もあり、英米が金を出してフランスの物資を買い、雲南省へ輸送させていました。これは1940年の日本軍の仏印進駐で遮断したとなっています。フランスはこれでボロ儲けしていましたが、日本軍が海南島に上陸したので大慌てとなります。そして日本軍は北部仏印へ進駐します。

仏印縦走記 昭和16年7月(GHQ焚書図書開封2より)


 私の貧しい筆はともあれ、おそらくこの量感は実際に見たものでなければ、納得できまいと思われるほど凄いものだ。現に私などもあの倉庫に一杯ですよと指さされていながら、実際にその倉庫に入ってみるまで、その物量感がピンとこなかった。ところが入ってみて、あっと声をあげんばかりに圧倒されてしまったのである。
 海防監視委員事務所の後藤少佐の部屋に援蒋物資の見本が並んでいる。薬品、電話機、鉱石、顕微鏡、ラジオ、防毒マスク、ワイヤ、電池、水枕、飛行帽、電信機、測量計などなど数えきれない。これはまだほんの一部でボイラーや鉄道のレールは並べきれませんからね、と後藤少佐は説明する。そればかりではない。この海防附近にはまだどのくらい隠匿されているかわからない。例えば海防上流60キロ地点に百五十メートル平方の平地を掘り、周囲に土民窟を設けて援蒋物資を隠していたのが発見されたという事実もあるのだ。


 凄い物量だったことがわかります。

 日本軍はフランスに蒋介石軍に送るのはやめろ、といいますがフランス人は言う事をきかない。「売りものですから」とのらりくらり逃げます。本来、フランスはドイツに敗北してドイツ配下になっており、ヴィシー政権も日本に味方しろと言っているのですが、商売根性の強いフランス人はなかなか引き下がらない。やめないので日本の同盟特派員が日本本国へ「援蒋物資が流れている」と電報を打つとフランス側から悪意ある電報を打電しては困る、と抗議されます。仏印縦走記では日本の総領事、日本軍、外務省の役人はそろいにそろってへっぴり腰外交、弱気外交と述べています。

 昔も今も変わりませんね。



参考サイト:
 WikiPedia「援蒋ルート」「ベトナム」「ヴィシー政権
参考文献
 「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二


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