インドネシア独立の戦い

 インドネシアは1945年8月18日憲法を制定し、大統領はスカルノ、副大統領はハッタとなります。日本軍は降伏後も所有兵器を保持し、当面治安の安定をつとめ連合国に引き継ぐことになりました。しかし、オランダやイギリスがやってくるとまたもとのもくあみになるかもしれません。海軍の柴田弥一郎中将と陸軍の岩部重雄少将は「インドネシア人が武器を奪いに来たときは奪うように任せ、その責任はすべて最高司令官が引き受けよう」と暗黙の了解ができており、竹槍をもったインドネシア軍が日本軍に襲ってくれば日本軍が武器を置いて逃げるという茶番などを演じます。このほか軍票も独立軍へ渡り、イギリス軍がきてからも日本軍はのらりくらりと言い逃れし、武器の処分を言い出し、すぐ組み立てることができるよう武器を解体し、独立軍が奪えるように廃棄します。そしてインドネシア独立軍は軍の編成を行い、そこには多くの日本人兵士が参加します。(どれくらいの数かはわかっていない)
 
 イギリス軍のあとに悪魔のようなオランダ軍が入ってきて、1948年にはスカルノ、ハッタや閣僚を逮捕。しかし共和国側は臨時政府を樹立し、オランダ軍に対してゲリラ戦を行い、オランダ軍を窮地に陥れます。1949年国連仲裁を無視したオランダの暴挙は各国から批判され、ハーグ円卓会議の結果12月27日、インドネシアのオランダからの独立が実現しました。

 インドネシア軍に参加して戦った日本人兵士に市来龍夫、住吉留五郎がいます。両名ともインドネシアの地で命を落とします。スカルノは港区青松寺に二人に捧げた碑を建てました。


市来龍夫君と住吉留五郎君へ

 独立は一民族のものならず 全人類のものなり

  1958年8月15日 東京にて スカルノ

 今年、青松寺に行ってみたのですが、碑を見つけることができませんでした。おそらく墓地のほうにあるのだと思います。(信者しか入れない)土曜だったせいでお寺の関係者に聞くことができませんでした。

 戦後、インドネシア政府は独立に貢献した国家最高のナラリア勲章を6名の日本人に贈っています。金子智一さんの映像がYoutubeに出ています。
 いまでもインドネシアでは独立記念日に日本の軍艦旗を持って整列したり、日本軍の勇敢なる雄姿を讃えながら行進しているようです。1994年の映像では日本刀もっていたり日本の愛国行進曲ほか軍歌を大合唱している人たちがいますね。



参考文献:「世界が愛した日本」四條かな子著
     「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二
参考映像:インドネシアの侍 http://www.youtube.com/watch?v=GcXTY5BkOTY
     インドネシア独立記念パレードhttp://www.youtube.com/watch?v=ElAoXeGmj2k

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