日本人は子供を可愛がった
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断していると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」エドワード・S・モース 考古学者 明治10年来日。
「私はこれほど自分の子供に喜びをおぼえる人々を見たことがない。(中略)他人の子供にもそれなりの愛情と注意を注ぐ」イザベラ・バード 女性旅行家、紀行作家 明治11年来日。
他国がどうか?というのがわからないので、あまりピンとは来ないのですが、そうなのでしょう。
西尾幹二著「GHQ焚書図書開封」を読んでいると焚書された戦前の本の中に日本軍兵士が現地の子供に注意引く様子が出ていますね。以下、マレー攻略の話です。
「避難民は日本軍の幕舎の傍らを通ると、腰をおろして動こうともしない。兵隊は攻撃準備のために目がまわるくらい忙しいのであるが、可愛い子供など見ると、つい手をとってあやしたりする。開戦当初は日本兵を見ると逃げ回っていた住民たちも、今では規律正しい日本軍にすっかり慣れて、日本兵の傍らにおれば一番安心だと考えるようになっていた。そして何やかやと、兵隊の手伝いさへ自分からするようにまでなっていた」星港攻略記(昭和17年5月)
上海事変の書でも孤児となった支那の子供と遊んでいて情が移り別れが辛かったということが書かれています。やはり日本人は子供が好きだったようです。1920年(大正9年)に日本はシベリアからポーランド孤児を救出していますが、八紘一宇の精神のほか、子供好きの日本人の心を揺り動かしたがための行動だったのかもしれません。
長岡藩城代家老の家柄だった稲田家の六女の杉本鉞子(えつこ)(明治五年生まれ)のエッセイに鉞子が初めて子供を生んだとき、母から絵本が贈られてきたときのことが書かれています。この絵本は鉞子が子供の頃に母から絵にまつわる話を聞かされたもので「剣の山」のところに印がありました。「剣の山」の話はわが子ばかりに愛情を注ぎ、他者への愛情や思いやりを忘れることを戒める話でした。母から子へ伝承していっていたのですね。また、江戸時代は子育て論を書いた本は男性が男性向けに書いたものがほとんどだったといいますから、驚きです。
今は個人主義で人生は自己を中心におくような時代になりましたが、ちょっと立ち止まって考えて周りや自分の親を静かに見直すと良いかもしれません。
参考文献
「明治人の姿」櫻井よし子著
「GHQ焚書図書開封」西尾幹二著
参考サイト
WikiPedia「イザベラ・バード」「エドワード・S・モース」