フランスの南太平洋侵略と核実験

 1853年フランスはニューカレドニア侵略をはじめます。この年は日本ではペリー来航の年になります。ニューカレドニアにはメラネシア人が住んでおり、当時の人口はおおよそ4,5万人。フランスの侵略によって1878年には徹底的に破壊されます。1933年には人口が18,000人程度まで減ります。戦闘だけではなく、疫病をもたらしたからです。ニューカレドニアにはニッケルが産出されるためフランスは狙ったのです。フランスはまず囚人をつれてきて働かせました。実は日本人も日本からきて働いています。ベトナム人、インド人、ジャワ人などもきています。
 ニューカレドニアの北にはニューヘブライズ諸島があり、1886年に白人の侵害に住民が抵抗し、フランスはニューカレドニアから軍隊を送り鎮圧しますが、イギリスが横槍をいれたため英仏共同占有となります。このニューヘブライズ諸島は住民は43,000ほどで、うち白人は1,200人、アジア人1,000人おり、コーヒー、ヤシの木、カカオを栽培してフランスとイギリスが土地の所有を争います。
 ニューカレドニアの更に東にポリネシアがあり、フランスの核実験場所です。ド・ゴール主義のフランスは1966年から30年の間、200回に及ぶ核実験を行っています。現地では皮膚病や流産、奇形児が多いと言います。核実験について文句をいったり、口外すると職場を追われるので何もいえないのだそうです。

 フランスが核実験を行ったとき日本は抗議しますが、フランスの新聞や雑誌は一斉に反論しました。
「日本は第二次世界大戦の責任を回避している」

「日本には『恥』があるだけで罪の意識はない」

「日本をアジアの反共の砦とするアメリカ政府の政策が日本社会に集団的無責任体質を生み出した」

「日本人は良心の呵責を知らない」

「日本人は自分たちの侵略の歴史をごまかそうとしている」

 フランスの日本叩きは8月15日の前後に一斉に書き立てます。
「広島・長崎の原爆と経済成長の号令が、日本人の反省を覆い隠してしまった。」

 これにはイギリスやオランダも同調し、一斉に日本叩きが行われ、ドイツまでも日本叩きに加わります。アジアの旧支配者らは結託して日本を叩くのです。そこには彼等が行ってきた過去のアジア太平洋への侵略、人権侵害の罪をかき消そうとする魂胆が見え隠れします。
 日本では親フランスの人が多いと聞きます。文化面などの影響があるのでしょうか。しかし、歴史を追って見ていくと傲慢で無反省なフランスが浮かんできて、それは今も変わらないことに気づくのです。


参考サイト
 WikiPedia「核実験」
参考文献
 「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二


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