沖縄へ向かった戦艦大和の使命

 1945年4月7日菊水作戦において米軍機動部隊の延べ380機以上の航空機による猛攻撃を受け沈没した戦艦大和ですが、なぜこの作戦が行われたか、本当に片道燃料だったのか、諸説あるようです。一億総特攻の魁(さきがけ)として作戦が立てられた、沖縄突入はハナから無理だがムードに押し切られてで作戦が決まったとか、沖縄県民を救えという機運の高まりから発案されたとか色々聞きます。
 
 沖縄県出身のジャーナリストの恵隆之介氏は防衛大学校時代に帝国海軍将校だった教官から「大和は犬死だったといわれているが、実は崇高な使命を帯びていたのだ。この事実を忘れてはならない。お前にだけは言っておく」と聞かされたそうです。この教官は大和に乗り込むはずだったが、直前になんらかの事情で取りやめになったようです。
 そして恵氏は昭和58年8月の「中央公論」に掲載された市橋立彦氏の文章を見つけます。市橋氏は塩野義製薬の原料課の係長でありながら「海軍大尉待遇嘱託」として軍でも働いていました。そのとき軍の療品廠長(軍の医療品調達部門)より命令を受けます。
「本日より一週間以内に、歯磨、歯ブラシを各50万人分、美顔クリーム25万人分、メンスバンド(生理用品)15万人分を調達するために、協力してほしい。理由はいえない。直ちにカカレ」
 軍需品ではなく、民生用品であることは明らかです。そして市橋は物不足の時代の中なんとか掻き集めます。 大和沈没後、療品廠長がこう言います。
「市橋君、われわれが共に一週間たたかったあの四品目は、大和に積んだそうだ。沖縄県民のために残念なことをした。市橋君、本当にご苦労だった」

 この話を裏付ける証言や物証が今のところ無いので歴史の観点から確かなこととはいえませんが、作り話か?と考えると、昭和58年当時このような話を作っても意味がなさそうで、作るなら民生品という発想はないでしょう。真実と考えてもいいと思っています。そうするとやはり大和は沖縄にたどり着くことを前提においた作戦だったのか。一戦艦といくらかの駆逐艦で突っ込んでくるような作戦たてないだろうと米軍の意表を突く作戦か。佐世保へ行くのだろうと米軍に思わせて沖縄へ突入する作戦だったのか?

 軍事機密であるため大和乗組員もごく一部の高級将校しかしらない話なので真相はなかなかわからないかもしれません。戦艦大和を引き揚げる話がありますが、もし、この民生品あるいはこれ以外の民生品が出てくれば沖縄戦の見方も結構変わるかもしれません。



参考サイト:WikiPedia「大和 (戦艦)」
参考文献:歴史通 WILL7月号別冊
参考映画:「男たちの大和東映

広島ブログ クリックで応援お願いします。