日本国憲法はユダヤ製

GHQ憲法ユダヤ人の願望を書いたものだった。




 昭和21年(1946年)3月4日、東京第一生命ビルのGHQ民政局で、日本国憲法の確定草案(ファイナルドラフト)の作成が行われました。英文で書かれたマッカーサー案を日本語に翻訳する作業です。終戦連絡中央事務局次長・白洲次郎、法制局の佐藤達夫第一部長、外務省情報部渉外課・小畑薫良らが対応しました。一応は各条文を採用するしない、が話し合われましたが、力関係から言って拒否などできようもなく、形だけのものです。

第24条 
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 日本の家族制度は家の結びつきを重視しており、また家庭は権力分散型でしたから、日本側は「急進的すぎる」と反発すると、GHQ民政局次長のケーディス大佐が「ここは日本の事情をよく知っているミス・シロタが日本女性の立場や気持ちを考えながら起案したところです。悪いことが書いてあるはずがありません。採用しませんか?」と言います。

 シロタ女史はその場に通訳としていたのですが、日本側は通訳が憲法の条文を起草したなどと思っていませんでしたから、びっくりしました。

 このシロタ女史。(※1)はロシア系ユダヤ人です「憲法24条の母」と呼ばれることもあるようですが、このときのことを次のように回想しています。

「私はまだ22歳だった。憲法の専門家といったら畏怖する対象でしかなかった。とにかく、私が憲法について知っていることといったら、高校の教科書で学んだだけのことだった」

 ケーディス大佐もユダヤ人です。彼は学生時代にフランクフルト学派に接しました。フランクフルト学派は知識人向けマルクス主義、あるいは西欧マルクス主義と言われています。テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー、ヘルベルト・マルクーゼといった学者はユダヤ人です。当初はドイツのフランクフルト大学で「社会研究所」で活動していましたが、ドイツで反ユダヤ主義が強くなると学者らはアメリカに亡命し、コロンビア大学で活動しました。アメリカのルーズベルト大統領はナチスに対抗する軍の戦略組織として1941年7月にOCIを設立し、1942年にOSSを設立しています。このOSSにマルクーゼ、ノイマン、ホルクハイマーが採用されています。ケーディス大佐もOSS出身でした。このOSSが日本を打倒するために「日本計画」を作成し、この流れでGHQ憲法は作成されていったのです。

日本国憲法前文
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」というのは生存権を外国に委ねるのはおかしな話ですが、ナショナルホームを喪失し幾千年迫害されてきたユダヤ人にとっては切実な願いであり、これが日本国憲法前文に挿入されたわけです。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」というのも被害者意識を持つ、まさにユダヤ人の願望から来ています。このほか、憲法の各条文についてもユダヤ人の願望が多く込められており、そこには革命思想、社会主義思想が隠されていたのです。


※1 アメリ共産党


参考文献
 講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
 徳間書店ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
 転展社「戦後日本を狂わせたOSS日本計画」田中英道(著)
 総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
 朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史 戦後篇」若狭和朋(著)

添付画像
 M. Gottlieb画、シナゴーグで祈るユダヤ人(1878年)(PD)

広島ブログ クリックで応援お願いします