今に見ていろ! 〜 5月3日GHQ憲法屈辱の日

今の日本人に誇りはあるか?


 現在、日本国憲法と呼ばれているGHQ憲法占領政策基本法)はCIAの前身であるOSSの「日本計画」がもとになっており、GHQ民政局の素人集団が7日間で仕上げたものです。内容は共産主義者の作文。目的は日本の共産主義化。OSSには知識人向けマルクス主義とよばれるフランクフルト学派が多くおり、GHQ憲法作成の首魁である民政局ケーディス大佐もOSSにいたためフランクフルト学派に影響を受けていたと思われます。

 昭和21年(1946年)2月26日の閣議マッカーサー案をベースに草案しなければ仕方がないという結論になり、松本案を作成します。
 3月4日、終戦連絡中央事務局次長・白洲次郎ら数名がGHQを訪れます。そこで松本案の英訳が始まりましたが、ケーディス大佐が重要なポイントに手が加えられていることを知り、松本博士(国務相)を呼び出します。そこでケーディス大佐と松本博士と大喧嘩になります。松本博士は怒って帰ってしまい、結局、マッカーサー案にほとんど逆戻りしてしまいました。

 3月4日午後6時、ケーディス大佐
「今夜中に日本国憲法のファイナルドラフトを完成することになった日本側もそれに参加してもらいたい」

 そこで白洲次郎らは松本博士を呼び出しますが、本人の機嫌が悪く、側近が「血圧が高いからあとはしかるべくやってくれ」の一点張りできてくれません。結局、松本案をマッカーサー案に復元した英訳を今度はこれを再検討しながら和訳していく作業を白洲次郎や外務省の小幡氏らと始めました。

小幡「白洲さん、シンボルって何やねん?」
次郎「そこにある井上の英和辞典引いてみたら?」
小幡「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴やね」

 ケーディス大佐はしきりに文句を言っていましたが、一度だけ猫なで声で語りかけてきました。「第三章 国民の権利及び義務」の冒頭にある第十条についてです。

「この条文はホイットニー局長の書かれたもので、ご自身名文だと思っておられる。別の場所でもいいから残してもらえないか」

 上司のゴマすりときました。こんな感じで素人たちがあれこれいいながらGHQ憲法のファイナルドラフトができあがったのです。

 作業が終わったのは3月5日午前10時でした。ホイットニー局長は満面の笑みを浮かべメンバーの一人一人と握手しました。


 佐藤法制局第一部長
「いったいどこの国の憲法を手伝いにきたのかという錯覚をおこしそうになったくらいである」


 3月6日、ファイナルドラフトは「憲法改正案」として世間に公表され、間髪いれずにマッカーサーは同案への支持を表明しました。完全な出来レースです。


 白洲次郎の手記
『今に見ていろ』ト云フ気持抑ヘ切レス ヒソカに涙ス」


 数ヶ国で構成される極東委員会は憲法前文を見ただけで「憲法改正案」が日本人の書いたものではないことを見抜き激怒し、憲法案を審査する機会を与えるよう主張しましたが、マッカーサーが拒否。結局、強引に押し通されました。昭和21年8月24日、衆議院憲法改正を採択。多くの議員が無念のあまりに嗚咽を漏らし無数のすすり泣き声が議場を粛然とさせました。



参考文献
 講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
 総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
 河出書房新社白洲次郎」『白洲手記』白洲次郎

添付画像
 マッカーサー案の訳 国立公文書館 http://www.archives.go.jp/exhibition/popup_haruaki_19_haru/02.html

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