そしてイスタンブール

親日国トルコ、その理由。




 昭和25年(1950年)6月25日、朝鮮戦争が勃発。昭和28年(1953年)7月27日まで続きました。この戦争にトルコ軍が国連軍として参加しています。トルコ兵の勇猛ぶりは名高く、アメリカについで犠牲が多く出ています。ロシア嫌いのトルコ人朝鮮戦争を戦うことによって、日本を共産化から防いだ」という認識があるようで、彼らの一つの誇りになっているようです。朝鮮戦争から帰国するトルコ兵士たちは日本に立ち寄り親日感を増して帰国したといいます。

 昭和28年(1953年)に朝日新聞の牟田口義郎氏はトルコを取材し、「トルコ通信」を連載しました。この中で、トルコの親日ぶりは反ロシアから発していると説明しています。エジプトやシリアを歩くと日本人はまずほとんど「シーニ」(シナ人)と呼ばれるのですが、トルコでは断然「ジャポンヤ」(日本人)であり、日露戦争でロシアを叩きのめした痛快感が残っていたと述べています。ある老人が乃木将軍が旅順を陥落させた時の感激はいまだに忘れることができないとしみじみ語ったと書いています。牟田口氏の後日談として、昭和48年ぐらいに東京のトルコ大使館主催のトルコ独立記念日のパーティが東郷記念館で行われたことがあったそうです。普通はホテルで行うものですが、トルコ大使が元海軍中将だったのが理由のようです。

 明治23年(1890年)9月16日、トルコの軍艦エルトゥールル号和歌山県大島樫野先付近で遭難した事件をきっかけにトルコに渡り、以降、日本とトルコの親善交流に尽力した山田寅次郎第一次世界大戦によって日本に帰国し、茶道・宗偏流(そうへんりゅう)を継ぎ、息子である後継者の第十世山田宗偏は昭和52年(1977年)にエルトゥールル号で命を落とした人たちの霊を慰めるため、イスタンブールの宮殿で献茶会を催しました。これに参加した荻野さんという方は次のように話をしています。

国賓待遇でした。陸軍大臣海軍大臣の歓迎の言葉の中に山田さんの学校という話も出てきました」

 それでも日本人にとって知名度が低かったトルコは昭和53年(1978年)、庄野真代さんのヒット曲「飛んでイスタンブール」で急速に知られるようになり、昭和60年(1985年)のイラン・イラク戦争の折にトルコがテヘランに取り残された日本人を救出したことによりエルトゥールル号事件のことも知られるようになりました。庄野真代さんはエルトゥールル号遭難120周年で日本とトルコの友好ソングを収録したことをきかっけに平成20年(2008年)にトルコでチャリティーコンサートを行っています。

 トルコというとイスラム圏であり、男性はトルコ帽、女性は白い帽で顔を隠すイメージがありますが、トルコ共和国の建国により世俗主義に向かい、国立学校や国の機関でイスラム色を出すことを禁じました。イスタンブールへいくともうそのような服装をしている人はいないといいますが、スカーフの着用が問題になったことがあるようです。イスラムでは女性の頭髪は性的な部分なので、スカーフで隠さなければならないものですが、大学ではスカーフ着用が禁止になっていました。これが最近は解禁になったようです。大統領夫人や首相夫人のスカーフ姿も色々と議論を呼んだようです。このあたりは日本人には理解に苦しむところです。

 トルコは世界一親日の国といわれていますが、これはオーバーかもしれません。BBCの「世界に良い影響を与えている国」2011年の調査では親日1位はインドネシア、2位フィリピン、3位アメリカです。ちなみに4位韓国(驚くなよ!)、トルコは10位です。

 トルコで日本のアニメは随分と人気を博しているようです。また違った形でトルコは親日度を高め、日本とトルコの交流が盛んになっていくようになるのかもしれません。



参考文献
 現代書館「明治の快男児トルコへ跳ぶ」山田邦紀(著)
 藤原書店 別冊環14「トルコとは何か」
  『トルコと日本』牟田口義郎
  『歌から始まった出会い』庄野真代
  『トルコ共和国の根幹』内藤正典

添付画像
 スルタン・アフメット・モスク Auth:Osvaldo Gago(CC)

広島ブログ クリックで応援お願いします

庄野真代「飛んでイスタンブール」:おんがく白書【HD】
http://www.youtube.com/watch?v=C_peHgnwgPs