花嫁修行は伝統の継承だった

花嫁修業なんて古くさーい?


 「武士の娘」を書いた長岡藩城代家老を務めてきた稲垣家の六女、杉本鉞子(えつこ 明治5年生まれ)はアメリカに住んでいる商人の松雄という人との結婚が決まると花嫁修業に入ります。料理、裁縫、家事、作法。花は自分で選び、床の間の掛け軸や置物も一人で整え、家の中を習慣どおりに整えるということを行います。夫になる人は魚が好物でしたが、鉞子は苦手だったため、これを食べる稽古をしています。布団縫いは独力でやらなければならないことになっていたので、苦労して仕上げています。

 これら花嫁修業というのは伝統文化の継承、価値観の継承だったといえます。家のことはひとつひとつが伝統からなる意味を持っています。それを実践し、継承し、母から武士の妻としてのあり方を学んでいるわけです。もうひとつ鉞子は興味深いことを著に書いています。

「こうして私が、妻となるべき修練をつんでおりました年頃、母と私は、殊のほか親しみあったように思います。母は私に何でも打明けて話すという人ではありませんでしたが、この頃、目に見えない絆が二人の心を結びあわせてくれたように思われます」

 母と娘の絆もしっかり出来ていったことがわかります。このことは実家と嫁ぎ先の家を強く結びつける上でも大きな意味を持つことでしょう。

 今の時代は料理教室などで料理を学ぶことはあるでしょうけど、明確な花嫁修業というのはやらないでしょう。現代人からは古臭いとか束縛的だ、自由がいい、非合理的とか、そういう答えが返ってきそうです。ですが、花嫁修業というのはちゃんと意味があったわけです。
 
 私は子供の頃、母の実家へいったときに食事の味付けが、母と同じ味付けであることに気がついたものです。ご飯の固さまで一緒でした。母は夜遅くまで長々と祖母と話をしていました。これらのことは母が花嫁修業の経験があったということを物語っています。さらに父の実家へ行ったときは、母は父の母と一緒に台所に立っていました。これも父の実家の伝統を継承することをやっているわけです。いわば「家風」を受け継ぐというものです。残念ながら私の妻の料理は料理の体をなしていません。妻の母が遊びに来ると文句ばっかり言っています。花嫁修業をしていないからでしょう。私の実家に行ったとき、妻は台所に立ちません。代わりに私が立っています。

 「武士の娘」の鉞子はアメリカの商人の家に嫁ぎ、そこには夫のご両親はいません。それが家族の間で問題になっています。そして嫁ぐ直前にアメリカの日本理解者であり名家のご婦人が母親代わりになってくれる、という知らせが届きます。すると鉞子の母は嬉し涙を流しています。

「母からみれば家風を仕込んでくださるはずの姑も姉姑もいない家に嫁ぐというのは、娘の将来が心配なのでした」

 家風を仕込んでくれる人がいないと困ると考えており、それをやってくれる人が現れて喜んでいるわけです。これも現代では驚く話でしょう。姑がいないほうがかえってよかったのに、という感覚の人が多いはずです。

 現代は核家族化が定着し、誰でも豊かな文化的生活を送れる世であり、個人主義、合理主義の考え方を持った人が多く、古いものは退けがちです。「花嫁修業」などはそうでしょう。しかし、その古いものはなぜそうしていたか、という「理由」「意義」があり、この「理由」「意義」を知ってなんらかの形で現代に取り入れることが出来れば、少し「心」が豊かになる、家族の幸福度が上がる、そんな気がしてくるのです。


 千年の老樹の根から若桜



参考文献
 「武士の娘」杉本鉞子著・大岩美代訳
 「明治人の姿」櫻井よし子著

添付画像
 日下部金兵衛の「縫い物をする女性」(PD)

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