武士の時代、女性の地位は低かったのか

本当に女性は虐げられていたのか。


 封建的社会や戦前の社会において女性の地位は非常に低いもので虐げられていた、と大方の人は思っているのではないでしょうか。

 加賀百万石の御算用者という会計役、猪山家の家計簿を分析した「武士の家計簿」によると猪山家の大黒柱の、直之の年間のお小遣いは19匁(約76,000円)であり、妻お駒の小遣いは21匁(約84,000円)で妻の方が若干多くなっています。また、夫が妻から借金した記録もあり、夫と妻の財産が明確に分かれていたことがわかります。これにはわけがあり、当時は寿命が短いのと離婚が多かったため、いつそうなってもよいようになっていました。「武士の家計簿」の中では宇和島藩士の結婚カップルのことについて書かれていますが、56組のカップルがわずか3年で20組も離死別しています。したがって嫁は子供をもうけてしっかり嫁ぎ先に定着していくか、離死別でもすれば自分の財産を持って実家に引きあげることができたわけです。
 また、妻は毎月の定常生活費を管理しています。一家の財務大臣ということです。現代でも妻が家計を管理しているケースが多いでしょう。これは世界でも珍しいというのを聞いたことがあります。財務を握っているということは強い権力を持っているということです。この武士の時代の頃の女性は家の相続権はありませんでしたが、独自の財産を持っており、子を産み子が成長すると「母上様」となり、孫ができて「おばば様」となり、家庭内の地位は向上していったわけです。

 長岡藩城代家老を務めてきた稲垣家の六女、杉本鉞子(えつこ 明治5年生まれ)の著書「武士の娘」を読むとアメリカ夫人との比較が見れて興味深いことが書かれています。鉞子は結婚してアメリカで暮らしていました。あるとき教会の婦人会で寄付を集めることになっており、婦人会では夫たちから相当の金額を支出してもらっていたので、夫人たちだけで5ドルずつ持ち寄ることになっていました。アメリカのご夫人はその5ドルの捻出をどうしたか。一度もかぶったことがない帽子を売った、他人からもらった芝居のチケットを売った、靴下つぎをして稼いだなどありましたが、中には夫が寝ている間にポケットから無断で持ってきたというのもありました。鉞子にとっては夫に金銭をねだったり、恥ずかしい立場に身をおくことが信じられませんでした。鉞子は次のように書いています。

「女は一度結婚しますと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任を持つように教育されおりました。夫は家族の頭であり、妻は家の主婦として、自ら判断して一家の支出を司っていました。家の諸がかりや、食物、子供の衣服、教育費をまかない、又、社交や慈善事業のための支出を受け持ち、自分の衣類は、夫の地位に適わせるように心がけておりました。
 それらのための収入は、いうまでもなく、夫の働きにより、妻は銀行家になるわけです。ですから、夫は自分でお金の要るときには妻からもらい、夫に、地位相応の支給ができるのを、妻は誇りにしていました」

 妻は「銀行家」であり、「主婦としての誇り」であるといっていますね。また、主婦は家族全体の幸福の「責任」を持つ立場であることを述べています。「責任」を持つということは地位も高く、権限も強いということです。「責任」を果たせば地位は向上するのが理でしょう。武士の時代の女性は「責任」と「誇り」をもち、家庭内で地位が低いなどということはなかったと言えます。
 武士の時代は武士、百姓、町人と階級はあったものの権力、権威、経済力が一ヶ所に集中していない「地位非一貫性」でしたが、家庭内でも同様だったということでしょう。



参考文献
 「武士の娘」杉本鉞子著・大岩美代訳
 「武士の家計簿磯田道史

添付画像
 日下部金兵衛「羽根つきをする女性たち」(PD)


広島ブログ クリックで応援お願いします。