白人は野蛮だと日本人は知っていた


 1893年(明治26年)1月、ハワイ王朝リリオカラニ女王は高額納税者に限られていた選挙権を広く貧しい島民にも与えるとする憲法改正を発表しました。ハワイは既に白人がよくやる手口、宣教師を派遣し、布教し、乗っ取る手法で米系市民が力を持っていました。米公使「血に飢えた淫乱な女王が独裁政治を復活させた」と本国へ打電。軍艦ボストンの海兵隊162人がホノルル市内を制圧し、ボストンの砲はイオラニ宮殿に照準を合わせます。そしてリリオカラニ女王は屈服することになり、退位を宣言しました。

 同年、2月23日、日本の軍艦「浪速」、5日遅れて「金剛」がホノルル港に入ります。「浪速」の艦長は東郷平八郎です。(ハワイ王朝から緊急要請があったという話もある)日本の二隻の軍艦はボストンを挟むように投錨します。つまり抗議です。そして東郷艦長は声明を出します。

「武力でハワイ王政を倒す暴挙が進行している。我々は危険にさらされた無辜の市民の安全と保護に当たる」

 「浪速」は米大統領クリーブランドが調査団を派遣してくるまで3ヶ月にわたりホノルルに滞在しました。

 明治の頃の日本人の白人に対する認識を示すのに西郷隆盛の言葉が適していると思います。

 あるとき自分は、人と議論したことがある。私が西洋は野蛮なのだ、というと彼は、いや、西洋は文明だと反論する。もういちど私が、西洋は野蛮だと重ねていうと、どうして西洋が野蛮なのかというから、私は答えた。
 西洋がほんとうに文明だというのなら、未開の国に対して慈愛をもとにしてゆっくりと説明しながら開明に導いてゆくのが本当なのに、実際はそうではなく、相手の国が未開であればあるほどむごい残忍なやりかたで自分の利益をはかっているではないか。だから西洋は野蛮なのだ、といってやったら、彼は口をつぐんで黙ってしまった。(西郷南洲先生遺訓)

 明治の頃から、日本人は白人の野蛮さをよく理解していたんですね。だから東郷平八郎は抗議しました。

 大東亜戦争時も同様の認識でした。


「君たちの力」平出英夫著 昭和17年(GHQ焚書図書開封3)

 第一、あなた方が是非お考えにならなければならないことは、彼らアングロサクソンの残虐性ということです。前にもお話しましたように、自分たちの都合次第で、昨日までの紳士が忽ち残虐な悪魔に早代わりするなど、アングロサクソンにとっては常套手段なのです
・・・
 そのアメリカ人は今までどんなことをしていたか、黒人に対する残虐なリンチ、法律の一番発達した国として極めて恥ずかしいことなのですけれども、それを平気でやる彼等なのです。アヘン戦争はどうか。支那人に対してイギリス人は何をしたのか。何も支那人だけが対象でなく、東洋人が対象だったのです。

 「自分たちの都合次第で」・・・根本的には今も変わっていませんね。



参考文献
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著
 「歴史通」WiLL2010.1月『アメリカはなぜ日露講和に乗り出したのか』高山正之
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二
参考サイト
 WikiPedia「南洲翁遺訓」

添付画像
 軍艦「浪速」(PD)


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