赤化洗脳された日本人

 終戦後、シベリアの抑留者にはソ連による赤化洗脳の嵐が待っていました。1946年から「民主運動」の名目で実施されました。「スターリンを選ぶか天皇を選ぶか」と問われ、天皇と答えたものは「帰国させない」「反動は白樺の肥料だ」と脅迫を受けました。食事、睡眠、用便の時間を与えないなどの拷問も行われています。洗脳されてしまった人は内地に引き揚げた後、東京代々木の日本共産党本部に大挙して挨拶に行きました。

 静岡市の大木幸雄さんはシベリア抑留中、「友の会」という共産主義の勉強会がはじまり、「友の会」の指導で「青年行動隊」が組織され入隊していたそうです。しかし、戦友は「桜劇団」(資本主義の産物と言われた)を組織したため、迷いに迷いましたが、戦友より「民主運動は要領よくやればよい。日本へ生きて帰ることを考えよう」と励まされたそうです。大木さんの手記では収容所内は「革命だ!祖国日本を救え!」で埋め尽くされていたと述べています。

 この洗脳はシベリアに抑留された兵士だけでなく、中共でも行われています。山西省の日本軍は敗戦後も国府軍として居残り共産党ゲリラと戦い、これが滅法強かったため、毛沢東は恨みに思い、ソ連に抑留されていた日本軍精鋭の残存兵を強引に引き取ります。そして撫順(ぶじゅん)に洗脳学校を作り徹底的に洗脳します。共産党を礼賛し、毛沢東革命をたたえ、日本を貶める。改竄された歴史を教え込みます。日本人将校の中には自尊心が許さないとして自決するものも何人か出ました。こうして洗脳された日本人は帰国して731部隊、万人杭、三光作戦など組織的に流布されるようになります。ちなみに三光作戦の「光」に殲滅、皆殺しの意味を持つのは支那語であり、日本語には明るい意味しかありません。中日辞典をひけばわかります。日本軍は支那語の作戦名などつけません。

 こうして直接洗脳された日本人がいたわけですが、国内でもGHQの中に多くの共産主義者がおり、占領政策を通じての洗脳が行われていたのです。そして今なおその影響は強く、洗脳されている日本人がいることでしょう。家族制度、父権、権威、性的節度、伝統、国家、愛国心、尊敬心といったあらゆる徳目や「価値」を批判するのが彼等の思想であり、これらを無意識に頭から批判的に感じる人、軽んじている人は知らない間に洗脳されているといえます。



参考文献
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」
 産経新聞社 別冊正論「遥かなる昭和」
 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト
 WikiPedia 「中国山西省日本軍残留問題」


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