第一次世界大戦後の米国の乱暴狼藉

 大川周明(おおかわ しゅうめい)という人をご存知でしょうか。東京裁判のときに東條英機の頭をはたいた人です。法廷で「It's a comedy!」と叫んだとか。この人は政治家でもなんでもない民間人だったんですね。近頃本屋へ行くとこの人について書かれた本を見かけます。見直されてきているようです。

 大川周明大東亜戦争開戦直後に演説を行っています。第一次世界大戦のとき、日本がドイツに宣戦布告すると米国は「日本はシナにおいて領土拡張を求めないと約束せよ」「コウ州湾はシナに返すことを約束せよ」「今後、シナ国内に重大な動乱が発した結果として日本軍がコウ州湾の外へ出て攻撃を拡大する場合には必ずアメリカと相談し、アメリカと共同して行動するように」と言っており、何を言っているのだ?というような内容です。大川周明はこう述べています。

GHQ焚書図書開封2より

 誠に無礼極まる申し分でありますから、日頃アメリカに対して妥協的態度に出ることを習慣としている日本政府も、この乱暴なる申分には取り合わなかったのであります。
 そうしているうちに、絶対に中立を維持すると声明し、戦争は我々の自尊心許さぬところだ、We are too proud to fightなどと嘯いて(うそぶいて)おりながら、アメリカは参戦したのであります。
 
 当時の日本も米国には妥協的態度だったようですね。1917年にロシア革命が起こり、日本はシベリアに出兵しますが、このときも東支鉄道とシベリア鉄道の管理権を要求したり、日本軍がすぐにシベリアから撤退しないのをガンガン騒いでいます。それを大川周明はこう述べています。


 日露戦争以後におけるアメリカの東亜進出政策は、その無遠慮にして無鉄砲なること、近世外交史において断じて類例を見ざる所のものであります。それは藪医者が注射もせずに切開手術を行うような乱暴ぶりであります。而も数々の計画がその都度失敗に終わったにも拘らず、いささかも恥じることなく、些かも怯むことなく、矢継ぎ早に横車を押し来るに至っては、言語道断と申すほかありませぬ。我々はアメリカのかくの如き気性と流儀とをはっきりと呑み込んでおく必要があります。

 米国の執拗な嫌がらせがずっと続けられてきて怒っているのです。これは当時の国民を代表するような感覚だったのだと思います。



参考文献:「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二
参考サイト:Wikipedia大川周明
参考映画:「プライド運命の瞬間」東映

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