弱腰外交に国民が怒った「ロンドン軍縮会議」

 1930年ロンドン軍縮会議が行われ、前のワシントン軍縮会議に続いて今度は巡洋艦以下の補助艦艇についても制限が設けられ、日本は譲歩させられます。よく統帥権が持ち出され、怒った軍部が暴走していったかのように言われますがそうでしょうか。

 アメリカ代表スティムソンは日本を褒めちぎり、こう言っています。


 日本は本国に於いて海軍拡張論者の猛烈な運動あり、海軍当局は国民の支持後援を得ていた。それ故に私は日本代表はロンドン会議に於いて非常に困難なる仕事を成し遂げたと断言する。我々は日本が勇敢にもその敵手(米国のこと)が自国(日本のこと)を凌駕するまでのその手を縛るが如き条約を承認せることに対し、その代表及び政府に最大の敬意を払いつつ、会議から引き上げてきた。我々は故意に潜水艦を日本と同等にした。之は潜水艦の総トン数を縮小すれば、それだけ我国に有利に導くからである。しかして日本は一万六千トンの縮小に同意した。

 この条約は日本を縛っておき、その間にアメリカが太平洋の覇権を握るための条約だったと言っています。海軍には条約賛成、反対派がいましたが日本国民の支持を集めていたのは反対派(拡張論)と言っています。そして、交渉した政府は辛かっただろうといっています。つまり国民の支持をよそに日本は弱腰外交をやっているということを言っており同情しているのです。

 それはそれは軍部よりも日本国民のほうが怒りますよ。第一次世界大戦、シベリア出兵、ワシントン会議、そしてロンドン会議と米国の横暴に対して弱腰外交を続けてきたのです。この頃、思想家の大川周明氏は以下のように雑誌に投稿して述べています。


 繰り返して述べたる如く、米国の志すところは、いかなる手段を以ってしても太平洋の覇権を握り、絶対的優越せる地歩を東亜に確立するにある。そのため日本の海軍を劣勢ならしめ、無力ならしめ、然るに後にシナ満蒙より日本を駆逐せんとするのである。日本をしても若し適当なる時期において、かの如き野心の遂げらるべくもなきことを米国に反省せしむるにあらずば、米国の我国に対する傍若無人は、年と共に激甚を加え来たり、遂に我国をしてアメリカの属国と成り果てるか、しからずば国運を賭して戦わねばならぬ破目に陥らしむるであろう。ロンドン会議は日本の覚悟を知らしむる絶好の機会なりしに拘らず、ついに之を逸し去った。

 ズバリ言い当てていますね。弱腰外交を続けていくとそのうち属国になるか戦争するかに迫られますよ、と。現在の日本にも当てはまりそうですね。



参考サイト:Wikipedia「ロンドン海軍軍縮会議」「大川周明
参考文献:「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二


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