吉田のトイレットペーパーの真相 〜 サンフランシスコ講和条約

吉田のトイレットペーパーに隠されていたもの。

 昭和26年(1951年)9月7日、サンフランシスコ講和条約の調印式の前日、講和会議首席全権顧問の白洲次郎は吉田首相の演説草稿を一目見るなり渋面を作りました。英文だったからです。しかも占領軍に感謝するような言葉が並べられていました。

次郎「何だこれは!書き直しだ!」

外務省役人「ちょっと待ってください、事前にGHQ外交部のシーボルト氏やダレス顧問にチェックしてもらったものですから、勝手な書き直しなんかできませんよ」

次郎「何だと。講和会議でおれたちはようやく戦勝国と同等の立場になれるんだろう。その晴れの日の演説原稿を、相手方と相談した上に相手国の言葉で書くバカがどこの世界にいるんだ!」

 こうして原稿は和紙に毛筆で原稿は書き直され、巻くと直径10センチになりました。それを吉田首相がほどいて読んで演説したため各国のマスコミは「吉田のトイレットペーパー」と報道しました。

 この白洲次郎が日本語に書き換えさせた話は有名な話ですが、この講和会議直後の週刊朝日9月30日号に次郎は次のように書いています。

「総理はなぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいことは知らないが、英語でやるか、日本語でやるかをはっきりきめていたわけではない」

 しかも次郎はイヤホーンで放送したのは、その原稿の英文だった、と述べています。内容も書き直し、ギリギリまで原稿を清書していたのに、英訳する暇はなかったはずです。

 昭和44年(1969年)の「諸君!」9月号では次のように書いています。
「外務省にて作成した吉田首相全権の平和会議における演説草稿にも、沖縄の方には触れていなかったと記憶する。この演説草稿はこの会議の相当前から当時の外務省の幹部がGHQの外交部と話し合ってデッチあげたものらしいが、その口調のあまりのだらしなさ、あまりの自主性の皆無に驚いて一日半ぐらいで全部新規に書き直したもの・・・私も年のせいで記憶喪失症か何かになっていないとは保証せぬ」

 ここでは日本語演説のことは書いていません。昭和40年(1965年)のものと思われますが、講和条約についての対談で次郎は次のように語っています。
「それ(原稿)を見るとしゃくにさわったね。第一、英語なんです。占領がいい、感謝感激と書いてある。冗談いうなというんだ。GHQの外交局と打ち合わせてやってるのです・・・小畑さんにこういう趣旨で書くんだといって、ぜんぶ日本語で書いてもらったのです」

 日本語で書き直させた、と言っています。

 ところが、ジャーナリストの徳本栄一郎氏の調べたところによると、演説を日本語に変更させたのは米国のほうだというのです。講和条約の過程を記録した外務省文書に次のように書かれています。

「5日夜、ホテルで入浴中、シーボルト大使から米国代表部のホテルにくるよう連絡があった。急いでいってみると大使はオランダ、ベトナム、イタリア関係の用件を連絡すると同時に『総理の演説は日本語でされることがよろしいであろう。ディグニティのため - 』ゼスト(示唆)するところがあった。
 この趣旨を内密に白洲顧問をはじめ同僚諸君に伝えたところ、みな日本語で演説され島内くんが英語を読むのがディグニティのほかわが方の趣旨を議場に徹底さすためにもよかろうとの意見であった。ただ総理にどう進言するかであった」

 このディグニティ(威厳、尊厳、品位、気品)というのはアメリカ側が吉田首相の英語力に重大な懸念を抱いていたということです。吉田首相は発音が非常に悪かったのです。次郎も吉田首相に日本語で演説するよう進言していましたが、総理は「英語でやる」といい、最終的に米国側のサゼスト(示唆)により日本語で演説することを承諾しました。外務省文書によると演説内容も東京で二案用意され、現地の空気を読みながら修正することになっており、米国要人の談話を考慮して6日には白洲次郎を含めて大綱の一致を得て、7日には吉田首相の意向を取り入れています。そして開会ギリギリまで「吉田のトイレットペーパー」が作られ、吉田首相は日本語で演説し、同時通訳で英文が読まれました。

 なぜ、白洲次郎は「ウソ」を語ったのか?徳本氏によると吉田首相の英語力が懸念されて日本語演説に変えたとなると誇りの高い吉田首相のメンツをつぶすことになるので、カバーストーリーを作った、と推測しています。たしかに前述したように講和会議直後、次郎は「総理はなぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいことは知らない」と書いていますが、知らないはずはないでしょう。どうやらカバーストーリー説は間違いないようです。



参考文献
 講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
 新潮文庫プリンシパルのない日本」白洲次郎(著)
 河出書房新社白洲次郎」『講和条約への道』白洲次郎
 新潮社「1945日本占領 フリーメイスン機密文書が明かす対日戦略」徳本栄一郎(著)
参考サイト
 日本外交文書デジタルアーカイブ
 平和条約の締結に関する調書 第4冊 平和条約の締結に関する調書VII Ⅱ桑港編
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/sk-4.html

添付画像
 サンフランシスコ講和会議へ向かう機上の吉田茂(右)と白洲次郎(PD)

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