ホイットニーという男 〜 GHQ憲法の仕掛け人

GHQ憲法仕掛け人の大御所、ホイットニー。


 コートニー・ホイットニーは日本の被占領時代にGHQの民政局の局長をやっていた人です。GHQ憲法はこの人が指揮して草案したもので、ホイットニーの部下のケーディス大佐が首魁です。戦時中はマッカーサーにくっついてオーストラリアおり、フィリピンの抗日諜報活動を指揮していました。そしてマッカーサーにくっついてフィリピン奪還戦に加わり、戦後もマッカーサーにくっついてきたわけです。GHQの仲間内では彼のことを「白い脂肪」と、だぶついた身体を揶揄されていました。

 終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡りあった白洲次郎は英語でバンバン民政局とやりあい、その英語の達者ぶりにホイットニーは「貴殿は本当に英語がお上手ですな」と次郎にお世辞をいうと「閣下の英語も、もっと練習したら上達しますよ」と切り返したというエピソードがあります。

 白洲次郎はホイットニーを「信用しがたい一面がある」と述べています。あるとき、次郎は民政局の会議室に召集を受けました。日本人は次郎ただ一人。幹部連中は全部円陣に着席し、次郎が真ん中にすえられました。そしてホイットニーは「此の頃は日本政府はGHQを軽んじる傾向がある。マッカーサー元帥は今までは日本政府に対して、ソフト・ポリシーをとってきたが、このままの状態では、ハード・ポリシーに転換せざるをえないだろうとマッカーサー元帥は考えている」と次郎に向かっていいました。
 次郎はこの件を吉田総理に報告しました。吉田総理はすぐマッカーサーに面会して真意をただしたところ、マッカーサー「私はそんなことを言った覚えもないし、また、そうした考えももっていない」と答えたといいます。芝居だったわけです。

 ホイットニーはGHQ憲法は一週間で作ったと自慢し、彼の息子が来日して、草案の一章か一項を書いたと親バカ流に宣伝していました。ホイットニー自身は第十条「The conditions necessary for being a Japanese national shall be determined by law(日本国民たる要件は、法律でこれを定める)」を書いたといいます。ホイットニー自身が名文だ、と自負していました。(どこが?)

 GHQは民政局(GS)のほかウィロビー少将率いるG2と呼ばれる治安、諜報活動を受け持つ組織があり、この二つは激しく対立していました。ホイットニーの部下のケーディス大佐はリベラリストであり、ユダヤ人です。ウィロビーはドイツ系米国人でした。こうした関係も二つを対立させる要因となっており、ウィロビーはホイットニーやケーディスらを「ピンカーズ」と呼んで毛嫌いしていました。ピンカーズは共産主義者という意味です。GHQ憲法共産主義者の手によって作られたものです。

 ホイットニーはマッカーサーが解任されたとき一緒に退任しました。ホイットニーは見送りにきた吉田総理に「またいつかお目にかかりたいものです。God bless you.(あなたに幸いあらんことを)」と言いましたが、吉田総理は「いえ、それはご勘弁いただきたいですな」と言い返したといいます。その後、周囲には「よほどあのとき God Blame you (あなたに災いあれ)と言ってやろうかと思ったよ」と漏らしていました。



参考文献
 講談社文庫「占領を背負った男」北康利(著)
 河出書房新社白洲次郎
  『占領秘話を知りすぎた男の回想』白洲次郎
  『民政局の芝居』白洲次郎

添付画像
 コートニー・ホイットニー, ダグラス・マッカーサー、、エドワードM.Almond少将1950年9月15日朝鮮の観測 (PD)

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