マッカーサーを叱った男

白洲次郎は本当にマッカーサーを叱ったのか?


 白洲次郎は戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合いGHQ憲法の押し付けに最後まで抵抗した人、通産省立ち上げなどに尽力した人として知られています。この人は「マッカーサーを叱った男」とも言われています。

 この話は昭和天皇からクリスマスプレゼントをマッカーサーのところへ次郎が持参したときのこと。既に机の上には贈り物がいっぱいで、マッカーサー「そのあたりにでも置いてくれ」と絨毯の上を指差しました。そのとたん次郎は血相を変え「いやしくもかつて日本の統治者であった者からの贈り物をその辺に置けとは何事ですか!」と叱りとばし、贈り物を持って帰ろうとしました。さすがのマッカーサーもあわてて謝り、新たにテーブルを用意させたといいます。

 よく考えるといくらなんでも一役人がGHQ最高司令官を「叱り飛ばす」というのはありえず、おそらく誇張でしょう。友人の河上徹太郎のエッセイにもこの話が載っており次のように記述しています。

「白洲は憤然として、これは苟しくも私の天皇の贈り物だ、そんな所へは置くことはできないからもって帰る、といったら、元帥も考え直して新しい卓子を運ばせたので、その上へ置いて帰ったそうだ」

 おそらく憤然として「持って帰る」と言ったのは間違いないようですが、”怒鳴る”まではやっていないでしょう。次郎の妻、正子もこのエピソードは知っていましたが、本人から直接、マッカーサーについて話を聞いたことがないと言っています。次郎は人を褒めるときはとことん褒める人だったというので、正子は次郎はマッカーサーは大した人物ではないと思っていただろう、と述べています。

 それでも、一介の役人が「持って帰る」とまで言ったのは大したものです。次郎は終戦直後は皇室廃止論者で、サンフランシスコ講和条約のときも、天皇は退位すべき、と言っていますから、陛下に対しての無礼を許さなかったというより、日本人としての気概の意味が強いと思われます。また、マッカーサーは当初、近衛文麿憲法改正を依頼していましたが、途中で掌を返し、「近衛は憲法改正を行っているが、これはGHQの感知せぬことである」と切り捨てられました。これは近衛がアメリカのマスコミに不人気であったのと、ハーバート・ノーマンというGHQに雇われた隠れ共産主義者が近衛公を葬るためのメモランダムを作成し、提出していたためです。近衛公は戦犯指名を受け、自決しました。するとGHQは「近衛は日本政府の行政機構改革を研究するように言ったのを通訳の誤訳のために憲法改正と考えたのだ」という噂を流したのです。次郎は近衛公と親しくしており、悔しい思いをしていました。近衛公の死からわずか1週間後がクリスマスです。マッカーサーの不遜な態度に次郎は「一矢報いねば」という気持ちがあったのかもしれません。



参考文献
 講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
 河出書房新社白洲次郎
  『メトロのライオン、白洲次郎氏』河上徹太郎
  『いまなぜ”白洲次郎”なの』白洲正子
 中公文庫「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子(著)

添付画像
 吉田茂白洲次郎 昭和20年12月 河出書房新社白洲次郎」より

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白洲次郎の愛車 1924 Bentley 3L
http://www.youtube.com/watch?v=2XE52Q5OrXE