乙未事変

閔妃ウェーブを迎撃せよ


 19世紀末、日清戦争で日本が勝利した後、三国干渉があり、日本が屈服すると朝鮮の親日派は動揺し、閔妃一派がロシアに接近し、再び力を持つようになります。この当時、王宮を護衛していたのは米国人指揮下の侍衛隊でしたが、ロシアは親日派一掃のため、日本人教官に訓練された「訓練隊」を廃止して武器を押収しようとしました。訓練隊は激昂します。閔妃一派では朝鮮の西太后といわれる閔妃(ミンビ、びんぴ)が実権を持っており、訓練隊は在韓日本有志と反閔妃で連合します。
 
 明治28年10月7日、朝鮮政府が訓練隊解散と武装解除を通告してくると、8日早朝、訓練隊と日韓有志は国王の父、大院君を擁して王宮に入ろうとし、侍衛隊と衝突します。この騒乱の中、閔妃が殺害されます。こうして再び革命政府が樹立されることになります。

 大院君の檄文
「近年、閔妃を中心とする一派が善良なる者を排斥し、狡猾なるものを用いて維新の大業を中断した。ゆえに500年の宗社(国家のこと)一刻も猶予なき危機に直面している。余は宗臣としてこれを座視できない。したがって、このたび入闕(にゅうけつ)して大君主をお守りし、邪悪な輩を追い出し、維新の大技をなして500年の宗社を護ろうとするものである」

 歴史の流れとしては日清戦争の日本の勝利によって維新の流れになったものの、ロシアと通じて閔妃一派が改革を元にもどしはじめその不満が乙未事変(いつびじへん)となり、再び改革路線へ向かいました。
 
 このところ、NHKやテレ朝がこの閔妃殺害を日本人、三浦公使らの犯行として大々的に宣伝しており、NHKなどは「坂之上の雲」のドラマ中に原作には書かれていないのにわざわざ唐突に捏造シナリオを挿入するという悪質なことまで行いました。プロジェクトJAPANでも捏造偏向報道をやったそうです。テレ朝などは「このこと反日感情の根底」などという大嘘を番組で述べています。歴史的に誰が手を下したか、日本の有志?訓練隊?というのはあまり意味がないのですが、日本人と決め付けてプロパガンダを撒き散らしています。とにかく日本人に贖罪意識を植え込ませる並々ならぬ意欲が感じられます。実際には殺害は訓練隊の禹範善(ウ・ボムソン)によるものと思われ(自白している)、日本人が外国人要人を直接手にかけたとは考えにくいです。三国干渉の直後で国際問題としてこじれると困ったことになります。もちろん戦闘に慣れた三浦公使(陸軍中将)が作戦指揮したことは十分考えられます。しかし、日本軍人が関与しなくてもなんらか形を変えて同様の事件がおきたでしょう。この乙未事変についてはcoffee氏のブログに多くの資料が掲載されており詳しいので文末にURLを記載しておきます。
 
 この事件では朝鮮側の処断は厳しいものでした。訓練隊は解散させられ、同隊長・李斗(王黄)、禹範善は休職を命じられ、閔妃殺害は嫌疑者33名を逮捕して裁判を行った結果、李周会ら3名を処刑しました。李周会は三浦公使が日本で下獄されたことを聞くと「日本のわが国に尽くすこと国を挙げて至らざるなし。この事変に会し、多数志士の拘送を見るに至る。義としてこれを看過すべきにあらず」といって、縛につき、刑場の露と消えました。日韓同志は固い絆で結ばれていたのです。
 
 閔妃は死後、大院君の提言で 身分を剥奪され平民に格下げされました。しかし、その後、特命全権公使井上馨の尽力によって「明成皇后」という贈り皇族に戻しています。これらのことをマスコミは隠しているでしょう。



参考文献
 「大東亜戦争への道」中村粲
 「韓国併合への道」呉善花
 「親日派のための弁明」金完燮
 オークラ出版反日マスコミの真実2010」『やってくる閔妃ウェーブを迎撃せよ』若杉大
 
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    http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/23946935.html
    
文中のcoffee氏のブログ記事
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    http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3836.html
    
添付画像
 閔妃の葬儀(死後2年後の1897年 PD)

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