韓国の「中立声明」の欺瞞

韓国はどうしようもない外交をやっていた。


 日露戦争開戦前の緊迫した1904年(明治37年)1月、大韓帝国は突如「厳正中立」を宣言します。しかし、これは欺瞞でこの数日後に日本側は黄海で、ロシア軍の出動を旅順に要請する手紙を携行する朝鮮人を乗せた小船を拿捕したのでした。その発信者は中立宣言を声明した当の大臣でした。

 当時在韓ジャーナリスト、F・A・マッケンジー大韓帝国の宰相・李容翊との会話
マッケンジー「もし、朝鮮が滅亡から救われようとするなら、改革が必要である」
李容翊「朝鮮は安全である、なぜならわれわれの独立は欧米諸国によって保証されている」
マッケンジー「力によって裏づけられていない条約は無意味であることをあなたは理解していない。尊重されるべき条約を望むなら、それに応じた生活をしなければならない。改革がなされなければ滅亡しかない」
李容翊「他国が何をしようと問題ではない。われわれは今中立であるから、中立の尊重を要請する声明を出した」
マッケンジー「もしあなたが自衛しないならば、彼らは何のためにあなた方を守ってくれるだろうか」
李容翊「われわれはアメリカと約束ができている。アメリカは、いかなる事態が発生しても、われわれの友人である」

 しかし、この中立声明は、清、フランス、ドイツ、イタリア、デンマークは承認の回答をしましたが、アメリカは無視。ソウルを占領していたロシアも当然無視というか、日本の進出を抑えようと大韓帝国に"中立声明”をさせた、というのが本当のところでしょう。
 
 2月に日露戦争開戦し、日本が緒戦を飾ると韓国は態度を一変させ、日韓議定書を結び日本が韓国領土を軍事使用することを認めます。日露戦争で日本が次々と勝利していくと、韓国はロシアのあいだに締結されたいっさいの条約と協定を破棄すると宣布し、同時にロシア人やロシア企業に割譲した利権もすべて取り消しました。自らは指一本動かさないばかりか、勝ったほうがわが方という政策では国際社会からは受け入れられません。韓国は日本の保護下におかれました。
 
 米国の外交史家タイラー・デンネット
「韓国人は、その最近の歴史も駐米外交官たちも、ルーズベルト大統領の尊敬や称賛の念をひき起こすことができなかった。・・・大統領にとって、長い間海上に遺棄され、航海に脅威を与える船にも似た韓国が、いまや綱をつけて港にひきいられ、しっかりと固定されなければならないことは明らかだったように見える」

 英外相ランズダウン
「韓国は日本に近きことと、一人で立ち行く能力なきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ」

 
 

参考文献
 「大東亜戦争への道」中村粲
 「韓国併合への道」呉善花
 「親日派のための弁明」金完燮

添付画像
 朝鮮半島に上陸した日本軍1904 日付は4・17なので黒木為腊の第一軍と思われる(PD)


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