消された歴史「朝鮮進駐軍」



 WikiPediaから「朝鮮進駐軍」が消されています。どうやらハングルネームの方が削除に一生懸命働きかけたようです。一個人が削除を働きかけただけでなく、そっち系の団体か政治家が動いた可能性があります。
 
田中明 日本人の見た戦後日韓関係 「現代コリア」1992年12月

「敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力な警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずりおろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。くどくどいうのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、著書『回顧録』のなかで『今でもそのときのことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする』と書いていることから想像していただきたい。そうした姿は『朝鮮人=無法者集団』という印象を日本人の胸に強く植え付けた。外国人の指紋押捺制度が1955年に採用されたのも、上記との関連があった。朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収が絡む)それを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給資料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった」

毎日新聞社編「白い手黄色い手」1956年

「完全な無警察状態 − 。そのいい例が24年春、東京深川でおこった枝川町事件である。朝鮮人4人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。犯人の身元がわかり、深川署の刑事二人が逮捕状を持って(略)出かけたところ、(略)逆に"不審尋問”され、袋叩きの目にあった。当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。"見まい、聞くまい、振り向くまい”深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという」

 いくらがんばってもやったことは消えません。終戦直後から朝鮮人は「お前ら四等国民の日本人がわれわれ二等国民である朝鮮進駐軍に指図するとは生意気な!」といって横暴を繰り広げました。鳩山一郎(前総理の祖父)が半殺しにされたのは有名な話です。昭和20年10月には「在日本朝鮮人連盟」が結成され共産主義組織となり占領軍と対立するようになります。メーデー事件、吹田・枚方事件、大洲事件などがあります。

 こうした朝鮮人の加害性は80年代以降にメディアによって「被害者」にすりかえられて、現在でもWikiの削除や「ヨーコ物語」の弾圧に見られるように歴史抹殺の動きにきています。しかし、こうした歴史の捏造・歪曲はどこかに反動がくるもので、それがネットに吹き出ており、本記事もそのひとつに数えることができます。



参考文献
 「在日・強制連行の神話」鄭 大均著
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『朝鮮進駐軍三国人』詠清作
参考サイト  
 ウィキペディア「朝鮮進駐軍」記述削除問題
   http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/e13d47e72dfcc4572a9645164785ef02

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朝鮮進駐軍-wikipedia-
  http://www.youtube.com/watch?v=PGw6QB6kueo