ひん曲がった日本刀



 小学生の頃だったと思いますが「ひん曲がった日本刀」というのを読まされた記憶があります。それを思い出して探したところ草土文化より「ぼくもわたしも梅の花」という本の中に収録されていました。松山善次郎という人が憲兵となり満州へ赴任したときの話を来栖良夫(共産主義者と思われる)という小説家が聞き手になり書いたものです。
 話の要約は満州事変後に満州に赴任した松山憲兵は匪賊らと戦うのですが、このときの抗日の英雄が謝文東です。日本軍は匪賊を捕らえて取調べます。憲兵分隊長が処刑を命じると日本刀で首を切るのです。松山憲兵は「やれ」といわれたとき、震え上がりましたが、そのうち慣れてきます。そして日本刀はいつの間にかひん曲がってしまいました。終戦後、松山憲兵は懲役20年の刑(BC級戦犯)でしたが6年で出してもらった、というものです。
 
 この話を小学生が読むのですから、日本は残酷で悪いことを大陸でやったのだな、と思ったものです。何も予備知識もなく、斬られた人、匪賊がどういうことをしたかも知らず、どんな時代背景だったか知らないわけですから、日本人として一方的贖罪意識を植え込まれたわけです。本の意図は戦争の悲惨さを伝えたかったかもしれませんが、当時はそのように考えた記憶はありません。今から考えると命の大切さなどは自然にわかろうものですし、誰でも平和がいいに決まっています。
 
 この話に出てくる匪賊というのは、ゲリラ(主に共産ゲリラ)であって、政治的思想で日本軍や満州国軍を襲撃するだけでなく、民間を襲い虐殺、強奪する人たちです。満州事変前から満州は非常に治安が悪く、馬賊、匪賊が多くおり、最大軍閥の張学良軍も夜には武器をもって民間を襲い、強盗・強姦を繰り返していました。満州事変により満州国が建国すると当初数十万いた馬賊、匪賊は、日本軍の掃討によって数万まで減少し、満州の治安は回復していきました。満州はパラダイスに変わったのです。この頃の時代背景と馬賊、匪賊がやってきたこと、民衆はどうなったか。また、ゲリラというのは法的にはなんら保護されないということを何も教えず、「憲兵として抗日ゲリラの首を切った。日本刀がひんまがった」という部分だけ教えるというのはいかがなものでしょうか。
 
 当時、大陸を取材していたフレデリック・ビンセント・ウイリアム
満州とは日本人が出かけていって貪り食った。罪を犯した国だとごく普通の人たちは信じているだろう。日本がそこに行ったのは確かだ。しかしもし諸君が満州へ行けば − 満州国 − 日本はサンタクロースの役をこれまで演じていること、満州人が断然幸福であることを発見するだろう。彼らの古いご主人、ロシアと支那はまあ残酷な親方で、ひどく苦しめられたいたのだ。平和と安全、政府とビジネスの安定、鉄道の建設、都市の建設、病院や学校をもたらしたのは日本だった」

 パラダイス満州は1915年は約2000万人の人が住んでいましたが、1938年(昭和13年)には3900万人、1941年(昭和16年)には4300万人、になりました。恐ろしいところに人が集まったりしません。



参考文献
 「ぼくもわたしも梅の花日本児童文学者協会・日本子どもを守る会編
 「騙しの交渉術」杉山徹宗著
 「世界史のなかの満州帝国」宮脇淳子
 「中国の戦争宣伝の内幕」フレデリック・ビンセント・ウイリアムズ著

添付画像
 安東市街(現在の丹東) 国書刊行会「望郷 満洲」より。(PD)

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