金嬉老事件

 凶悪犯罪、金嬉老事件(きんきろうじけん)に群がる差別ビジネス。


 昭和43年(1968年)2月20日夜、静岡県清水市のバーで借金返済を迫る暴力団員3人のうち二人をいきなりライフルで撃ち殺した無職・金嬉老(キム ヒロ 39)が車を奪い闘争し、温泉旅館ふじみやに押し入り、宿泊客ら16人を人質に88時間に及んで篭城した事件です。
 金嬉老清水市の生まれです。父親は建設労働者でしたが、昭和6年に事故死し、母親は2年後に再婚しますが、生活は苦しく、小学校は5年中退し、丁稚奉公にでます。その後、盗みをやり清水警察につかまりますが、姉とともに鈴与レンガで働き、軍関係の飛行機工場で働き、清水に帰るとまた窃盗で捕まります。少年院に送られますが、終戦によって出所。その後も窃盗、詐欺、強盗の汎愛を繰り返しますが、冒頭に書いた殺人事件を起こします。そして記者に変装した刑事が飛び掛って取り押さえます。
 
 金は静岡地裁で意見陳述を行い「日本の皆さんに迷惑をかけたことを謝罪する」と述べています。一方「私たち民族に対する醜い偏見や差別、ひどいことが多々あるんだと、それはあってはいけないんだと・・・」 これはもう知識人やマスコミが飛びつくような内容で、当時やはりそうでした。篭城しているときから記者団を招きいれ「この角度のほうがいい写真が取れるよ」などといい、タレント気取りで、テレビの本番中に電話出演して子供時代から受けてきた差別の現状を訴えたりしていました。その際に、以前、彼に差別的は発言を浴びせたK巡査の謝罪を要求したり、自作の短歌をしたためた遺書を公開したり、ダイナマイト2本を爆発させ自殺をほのめかすなどやりたい放題。
 
 金は無期懲役でした。面会は自由で、房内には金品、ラジオ、カメラ、包丁、ヤスリ、エロ写真まであったといいます。そして70歳で仮釈放され、支援者に導かれて故郷釜山に帰りました。韓国では「差別と闘った在日英雄」として迎えられました。おそらくこの当時としても「差別」だけクローズアップして偏向報道していたのでしょう。素行をよく見ると擁護する気にもなれません。
 
 この金を擁護する意見の中に、現在よく知る有名人に姜 尚中(カン サンジュン 東大教授)や辛淑玉(シン スゴ)が目につきます。
 姜 尚中 1999年9月7日毎日新聞
「金氏は当時の在日韓国・朝鮮人が共有していたものを、自滅的にアピールした。在日韓国・朝鮮人はその姿に自らの内なる『金嬉老』を感じた。(略)最近、日韓が急速に接近し、よい関係にあんっているが、金氏を生み出した構造は残ったまま。事件から学ばず、歴史の中に封じ込めれば、今後、第二、第三の金氏が生まれる可能性がある」

 ちょうど、金氏が釈放されたときのコラムと思われます。さすが「差別ビジネス」で飯を食っているだけのことはあり、悲劇的に述べてひきつけておいて、問題点をあげ、「今後」につなげています。ちゃんと今後の自分の飯の種を撒いています。このコラムで一番苦々しく感じたのは善良な在日韓国人ではないでしょうか。自らの内なる『金嬉老』を感じた、と述べているあたり、日本人の警戒心は高まります。姜尚中氏のエゴイズム的発言といえます。

 さて、金氏は平成11年(1999年)に仮釈放され、獄中に結婚した韓国人女性と同居します。この妻が翌年には現金や預金通帳など持ち出して行方を絶ちました。同じ年に金は釜山市内のアパートに押し入り、部屋にいた男を手製の竹やりで脅し、1時間にわたって監禁します。金はこの男の妻と親しい関係にあったといいます。金は殺人未遂と放火容疑で逮捕され、懲役2年6ヶ月の判決をうけ、治療看護所に収容されました。どうみても根っからのワルです。被害者アイデンティティに人生の根拠と動機を見出している人間には自己責任の感覚がない、といいます。

 今年、金氏から入国申請があり、その一月後に3月26日に前立腺がんのために釜山市の病院で死去しました。享年82。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められています。祖国韓国より故郷日本がよかったということで、日本は差別されたイヤな国ではなかったということです。マスコミや知識人が差別ビジネスに群がったということです。ご冥福をお祈りします。



参考文献
 「在日・強制連行の神話」鄭 大均著
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『在日殺人犯 紳士録』若杉大
参考サイト
 金嬉老氏、日本に入国許可要請へ 
   http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100227/kor1002271023004-n1.htm
 金嬉老氏の常連店だった!日本人観光客も死傷の韓国射撃場
   http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20091116/dms0911161610014-n1.htm

添付画像
 金嬉老 昭和43年(1968年)2月の立てこもり時のもの http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/photos/20091116/dms0911161610014-p1.htm より

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